不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

砂漠の略奪者/デズモンド・バグリイ

Wanderer2005-12-10

 一人娘が麻薬のやり過ぎで死んでしまったイギリスの映画王ヘリアー卿は、麻薬をやっていることに気付かなかったほど、彼女に関心を注がなかったことを悔やんでいた。しかしここで天啓がひらめく。そうだ、麻薬密売ルートそのものを殲滅して復讐すればいいじゃないか! というわけでヘリアー卿は、それを娘の医師だったウォレン(麻薬業界に詳しい)に打診する。ウォレンは色々言い訳しつつもやる気満々、魚雷工員、傭兵、ギャンブラー、新聞記者、同僚の医師をスカウトし、二班に分かれてレバノンとイランへ潜入する。
 イランの生産拠点とレバノンの密売ルートを物理的・人的に破壊したところで、麻薬供給は根絶され得ない。というか、相手は確かに犯罪を犯しているが、ヘリアー卿の思いつきは事実上の八つ当たりであろう。こんなことは余程の阿呆でもない限り、わかりそうなものだ。事実、少なくともウォレンは若干、その素振りを見せる。しかし登場人物は、大枠では何も気付いていない、または気付いていない振りをして、イラン・レバノンを結ぶ麻薬密売人たちの本拠地撃滅に乗り込んで行く。
 ここで重要となるのは、正義・倫理に関する心情吐露があまりないことだ。せいぜい「麻薬は嫌い」というレベルにとどまる。一方で、魚雷工員は魚雷ラブ(間違いなくコイツ麻薬とかどうでもいい)だし、ペテン大好きのギャンブラーは悪辣な手段でイランの青年を陥れ、傭兵は巧妙な武器隠匿に心血を注ぎ、同僚の医師は思い出したように医師的行動に走って死ぬし、新聞記者はスパイじみたこと担当するしで、皆なかなか楽しそうだ。要するに、バグリイは麻薬問題を考えさせるために小説を書いたわけではない。単に国際的犯罪組織をぶっ潰すという冒険を、躍動感をもって描きたかったに過ぎず、麻薬というのは題材として好適であるから選ばれたに過ぎない。荒唐無稽な設定も、とにかく冒険させたいがためのものである。
 その冒険自体は非常にうまく設計されており、組織へ近づき、信用をある程度与えられ、大ダメージを与えられる段階になったら裏切り、その追撃をどう処理するかも含め、構成は緻密である。テンポよく読めるのも嬉しい。
 というわけで、「麻薬根絶はこれじゃ無理だ!」と言って怒り出す狭量な人を除き、広くお薦めしたい作品である。