不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

フォーチュン氏の事件簿/H・C・ベイリー

フォーチュン氏の事件簿 (創元推理文庫)

フォーチュン氏の事件簿 (創元推理文庫)

 冒頭の「知られざる殺人者」に端的に示されているように、フォーチュン氏の(恐らく転じて作者ベイリーの)倫理観が絶妙なスパイスとして効いている作品集。フォーチュンは一見かなりの常識人であり、奇矯な振る舞いはなく、愛妻家という側面も持っている。ふくよかな筆致と相俟って、人間的な魅力さえ感じられる。しかしながら、悪人を奈落の底に突き落とすことに何の躊躇も感じていないようだ。同情心もゼロ。この点に関してのみ、彼はかなり冷たく、非情な顔を見せる。解説で戸川安宣が《古典的ハードボイルド・ミステリの主人公たちに通じる》旨述べており、ふむふむと思った。にも拘らず、温厚篤実な素人名探偵と来たものだ。なかなか面白い人物造形といえよう。
 事件には子供絡みのものが多く、殺人を正当と思わせる余地が削られている。また、上述のように筆致が割とソフトで落ち着いており、会話も同様。このため、上述のようにフォーチュン氏が倫理ゆえの非情を見せても、押し付けがましい印象がない。実に上手い。ミステリとしての構造も堅実。楽しみました。