不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団

  1. コープランド交響曲第3番
  2. サイ:ピアノ協奏曲第3番《アナトリアの静寂》
  3. ガーシュウィンラプソディー・イン・ブルー
  4. (アンコール)ガーシュウィンサマータイム(サイ編曲)
  5. (アンコール)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2《テンペスト》よりフィナーレ

 やっぱり在京オケの中では音色が一番好きだなあ……。金管が割と頑張っているのが大きいかも知れない。音は外すけれど、おどおど吹いてないからそれなりに格好が付いているように思う。日本のオケの金管には期待するだけ無駄だから、台無しにしない限りニコニコ笑ってる聴き手になろうと決意した、ということもある。指揮者の秋山も、元々特に変なことする人じゃないので、弾まないリズム等の問題はあれど、コープランドは堅実な演奏でまずまず楽しみました。
 さてサイ登場の後半。非常にうまいピアニストだった。自作自演は、完全に彼の一人舞台。回る指で全てをカバー。あと、それなりに異国情緒(白人文化から見ての話だが)を意識して作曲したと思しい。打楽器大活躍。ピアノの弦を左手で押さえ、右手で鍵盤を弾くシーンも各楽章に出て来ており、クラシックにおいては常ならぬサウンドでトルコ出身という自分のルーツをうまく出しているように思う。しかし曲自体は面白くないと感じた。
 《ラプソディー・イン・ブルー》で、サイは高い水準の技術をベースに、明らかに弾き崩しを進行させ、非常に独特な演奏を展開。絶対硬くならない柔らかい音色で、しかし表情等は活発に動き回る音楽。指も回る回る。しかし、多分わざとだろうが、音の粒立ちをはっきりさせず、渾然とさせ、横の流れを重視させる方向に持って行く。一つの音に微妙なニュアンス、芳しい情緒を込めることはない。そしてバックのオケは、リズムが重く、音色はノーブルのままであり、下品な表情は出さず仕舞い。それなりに楽しんでいる気配はあったが、真面目にかっちりやろうとの基本路線は崩さなかった。このオケの上に、先述のサイが乗っかる。何だか珍妙な音楽が創造されていて、非常に興味深かった。
 恐らく今日の《ラプソディー・イン・ブルー》は、クラシック音楽の通常の文法にはない。しかし、ではジャズなのかと問われると(私はジャズには暗いので某マスターに聴かせたかったが)多分これともかけ離れている。トルコ人と日本人が作った音楽、などと言うと「トルコ人、日本人とは何ぞや」を定義しなければならんので避けるけれども、とにかくそう言って誤魔化したくなるほど、まるで新しい曲のように響いた。
 アンコールはいずれもピアノ・ソロ。クラシックの文法に留まらない、サイの世界の音楽だった。なるほど、これは面白い。金・機会の折り合いが付けば、また聴いてみたい。もっとも、クラシックの世界にい続けてくれる保証はないように感じたが……。