不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

どんがらがん/アヴラム・デイヴィッドスン

 奇想コレクションは驚異的な水準を誇る叢書だと思うわけで、確かに名手と言われる作家のベスト短編集となるべく編んだらこうなるのは必然かもしれないが、とにかく素晴らしい。しかも割安。今予定されているものを全て出すところまでは頑張ってほしい。
 『どんがらがん』も例によって素晴らしい。
 「ゴーレム」では、老夫婦と顔色の悪い男の、ユーモラスな会話が素晴らしい。話聞いてやれよ! 「物は証言できない」は、奴隷制度があった時代のアメリカを舞台に、予想どおりのオチながら色々考えさせられる短編。「さあ、みんなで眠ろう」は外惑星の先住民(?)を人間と捉えるか動物と捉えるのかという話。「物は証言できない」以上に色々考えさせられる。物悲しいラストも素晴らしい。「さもなくば海は牡蠣でいっぱいだ」は一転して、誰でも恐らく一度は空想したことのあるネタを、そのまま使っただけだなのに、なぜか見事な短編。やっぱり登場人物のやり取りが素晴らしいからだろうなあ。「ラホール駐屯地の出来事」は、元ネタ知らないとオチが理解できない(殊能将之が解説してくれるが)が、それでも読んでいて楽しい。語り口が見事なのですよ。「クィーン・エステル、おうちはどこさ?」は、個人的にはこの短編集では一番下に置くかな、という感じだが、それでも一人称による語りが絶妙。「尾をつながれた王様」は、SF的な設定の解説がないまま終始する、知的生命体(?)の物語。小説の登場人物が見がちな夢に類似した幻惑感があって、インパクト強いっす。「眺めのいい静かな部屋」は養老院での人間模様を描く。このオチなのに、ユーモラスな情感を維持するのは有り難きことかな。「グーバーども」は、要するに親が子を「鬼が来るど」と叱るネタ。ネタ自体はありふれているが、一人称の語り口が決め手。「パシャルーニー大尉」は「グーバーども」とネタ的に対を成す。今度は子供側の嘘なわけです。弱者ネタと絡めて、切ないラストがインパクト大。「そして赤い薔薇一輪を」は、社会的弱者がどうしても欲しい物(でもつまらない物)を手に入れるために……という物語で、オチを明示しないことで効果を上げている。「ナポリ」は、古都の情感とホラー風味がマッチした傑作。朦朧法がしっかり機能している。「すべての根っこに宿る力」は、殊能の解説どおり、ミステリとも怪奇小説とも取れる作品。多分怪奇小説と考えた方が正解なんだろうが、いずれにせよ主人公の狂気が素晴らしい。「ナイルの水源」は、老人が勿体を付けて語る《ナイルの水源》とは何かを探る物語。メインのネタは奇想そのものだが、プロットも素晴らしい。この展開で話をそこで切り上げますか、という意外性も個人的には好ましく感じられた。「どんがらがん」は、中世のような舞台で展開されるファルス。テラアホス、という用語を思わず口に出してしまいそうな感じ。滅法楽しい傑作だが、オチがどうとかプロットがどうとか言うべき作品ではない。
 全体的には、奇想としか言いようのないアイデアを、絶妙な語り口・または会話で魅力的に仕上げつつ、いくつかの短編では弱者やマイノリティへの温かい視線を感じさせる。堪能しました。