不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ファントム謀略ルート/マイケル・バー=ゾウハー

Wanderer2005-11-07

 ミステリにおいて、国家の諜報機関が舞台となり、登場人物もその機関に所属している場合、物語は《国家のための日陰者の物語》という抑圧された重苦しい情感を帯びやすい。本音を表に出さない(出せない)彼らの姿とそのドラマは、沈鬱または沈痛に描かれる局面が多くなりがちなのだ。ここを重視し、ミステリ全般を見渡しても他にあり得ないくらいの格調を備えたのがジョン・ル・カレだが、彼の場合、もはやエンタテインメントとはいえない世界に突入している。しかし一方で、そもそも謀略とは、奸智に長けた人間が、望ましい結果を得るため迂遠な手段で布石を打つことに他ならない。ということは、《誰が、いつ、どこで、何のために、どんな謀略を練ったか》を、企む側から描いたり、嵌った側から探るのは、ミステリの方法論と相性が素晴らしく良いはずなのだ。
 『ファントム謀略ルート』におけるバー=ゾウハーは、主人公をノンフィクション作家とし、アメリカ大統領選挙OPECの策動・ゲーリングの財宝を主要テーマに据えている。これら、各々1本長編が書けそうな派手な素材を見事に結び付け、読み応えあるプロットを提供する手腕は素晴らしい。また主人公が売れない作家(でも一発逆転を狙っている)だからか、明るく開放的な雰囲気があり、快男児の冒険譚という趣をも呈する。展開もスピーディーであり、気のせいか作者のテンションも『過去からの狙撃者』『二度死んだ男』に比べて高い。下手に深刻ぶったりもしない(コメディタッチでもないが)ため、終始極めて快適に、しかしワクワクしながら読むことができるのだ。出会ったその日にベッドインするようなメロドラマ、善玉悪玉をそれなりにはっきり区別する姿勢、印象的ではあるがなくても構わないエピソード、それらの諸要素も本作に関してはプラスに働く。つまり、一言で言えば、『ファントム謀略ルート』はエンタテインメントなのである。それも徹底的に。
 なるほどこれは『エニグマ奇襲指令』『パンドラ抹殺文書』と並び称されるわけだ。間違いなく傑作である。謀略小説は退屈と思い込んでいる人にこそ読んでほしい。