不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

マウリツィオ・ポリーニ

  1. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調Op.2-1
  2. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2-3
  3. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調Op.106《ハンマークラヴィーア》
  4. (アンコール)ベートーヴェン:バガデルOp.126-3
  5. (アンコール)ベートーヴェン:バガデルOp.126-4

 ポリーニが全盛期を過ぎていることは間違いない。目指すものは70年代と同じで、大理石の彫刻を思わせる、固く・輝かしい、《完璧》な音楽を求める。しかし、今のポリーニは、絶対的にはともかく、相対的には当時の技術水準を維持していない。目指すものが同じであれば、技術水準の高い方がいいことは間違いないわけで、ゆえに彼はもはや、昔日の《完璧性》を体現することはない。
 しかし、ポリーニは、それでもまだポリーニであることは間違いない。事実、今日もそれなりのミスタッチがあったとはいえ、ベートーヴェンをかくも軽快・明晰に弾き飛ばし、陽光溢れる一点の曇りもない世界に引きずり出すという意味では、恐らく未だにポリーニが世界有数の存在なのではないか。しかも、相手はあの《ハンマクラヴィーア》なのである。いやはや。俺はまだまだこのピアニスト、凄いと思うよ。
 太古の昔、吉田秀和ホロヴィッツを「罅の入った骨董」と酷評した。この言い回しは以後、相当有名となり、昔ヴィルトゥオーゾとして鳴らした老演奏家を貶すとき、頻繁に使われる。正直なところ、今回のポリーニを《罅の入った骨董》呼ばわりすることを不当と言い切る自信は、私にはない。しかし、この《骨董》は《サモトラケのニケ》であると主張しておきたい。いいじゃねえか首がないくらい。70年代のポリーニを実演で聴くことは、もうできないのだから。
 とはいえ、チケット代に見合うかは、個々人の判断ということになろう。