不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京フィルハーモニー交響楽団

  1. ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77
  2. ドヴォルザーク交響曲第8番ト長調Op.88

 樫本大進は荒削りながらも表現意欲溢れる演奏ぶりで、とにかくひたむき・情熱的にショスタコーヴィチのスコアから感じられる悲壮な情感を表現しようとしていた。最高潮な箇所で音が濁るのは減点材料だが、ライブで聴き、かつ、他のもっと素晴らしい奏者と比較しない限りにおいては特に不満もない。チョン指揮東フィルのサポートも見事であった。
 そして後半のドヴォルザーク。速いテンポで鮮烈に、閃きとパッションに賭けるタイプの演奏。しかし個人的には、ハッとする箇所は皆無のまま、ハイテンションでよく鳴るオケをだらだら聴いて過ごすだけであった。私個人と音楽そのものとの間でボタンを掛け違ったような違和感を覚えたまま、演奏は終了。会場は拍手喝采に包まれたし、良い演奏であったことは間違いないのだが、深い疎外感を覚えたまま帰路についた。これは一体何なのだろう。この曲に関しては、俺ひょっとして、ジュリーニロイヤル・コンセルトヘボウの録音(遅いテンポで格調高く、しかし素晴らしく哀愁を帯びて歌いこまれる旋律線、そしてじっくりと練り上げられてゆく全曲のどっしりとした存在感!)に毒され過ぎているのではないか。
 恐らく、今日は聴き手たる俺の方に問題があったのだ。ドヴォルザーク交響曲第8番に関しては、もうジュリーニ以外だと満足できない精神。そんなものは唾棄されなければならないのではないか。