不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

考える人 2005年春号

 特集が《クラシック音楽と本さえあれば》だったので、私にしては珍しく雑誌を購入。結局のところ、《本》側の人間は単なる音楽好きでしかなく、《音楽》側の人間は単なる本好きでしかない。よって得るところなし。予想通りですがね。
 個別には、安岡章太郎の音楽の聴き方は、84歳の聴き手としては一つの理想だと思うが、さすがの私も現状では参考にならない。高村薫は聴き手としてダメ。堀江敏行と勝本みつるは(程度の差はあれ)実際に音楽好きそうだが、「だからどうした?」という思いを拭えない。中島義道は日常の喧騒の排除するため音楽を聴いている時点で、ステージ低過ぎ。島田雅彦が蓄音機好きなのはよくわかった。恩田陸の今回の原稿は一々癇に障る*1のでノーコメント。武満徹の書庫に関しては、何がやりたいのかよくわからなかった。内田光子のインタビューは、相変わらず光子節炸裂で楽しい。自らの娘が弾くあのシューベルトを聴いてしまった彼女の父親の心中は察して余りある。《わたしのベスト・クラシックCD》《わたしの好きな本3冊》は、自意識・自己顕示欲のオンパレード。自分のセレクションがマニアックだと悦に入るのは明確にアウト。
 以上、あまりにも予想通りだったので悲しくなったが、私が同様のことを頼まれたらきっと似たようなことを書くだろうと確信してしまう。ここに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会(2/27)よりずっと良好であった精神状態は遂にバランスを崩し、暗く深く澱んだ鬱が、再び到来するのであった。

*1:リパッティは俺も好きですよ。ただ誉め方があまりにも……。