不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

プリーストリー氏の問題/A.B.コックス

プリーストリー氏の問題 (晶文社ミステリ)

プリーストリー氏の問題 (晶文社ミステリ)

 バークリーの皮肉が隅々まで行き渡りつつ、しかし本筋においては明るく楽しいラヴコメである。底意地の悪さはまだ顕在化しておらず、登場人物も邪悪とまでは行かず、悪戯好きといった印象。地の文で随時舌鋒鋭く尖がってくれるため、ファンとしては安心して読める。物語はテンポ良く進行するし、展開や構成も飽きさせない。非常にお薦め。

 黄金期英米本格を読むと、三十代の男が《青年》呼ばわりされるのにいつも違和感を感じていた。『プリーストリー氏の問題』を読んで思ったのだが、これは、自分がおっさんである事実を作家が直視したくないためのでっち上げではなかろうか。逆に言えば、三十代を青年と称しラブコメに持ち込む作家は、まだ人生に希望を持っている。自分がまだ若いと思うことで、若い女を引っ掛けることができると夢想するのである。そう言えば若さとは即ち希望のことだと誰か言っていた。そんなものかもねえ。
 『プリーストリー氏の問題』のヒロインも、二十代前半の、主人公とは年齢的に全く釣り合わない若い女性であり、そればかりか、脊髄反射で萌える人が出るかもしれない《幼さ》を持つ。恐らくバークリーは、1927年当時はまだ、自分が誰かと相思相愛になれるさと期待を抱いていたのではないか。しかしバークリーはご存知のように、孤独死した。作風も以降どんどん救いがなくなってくる。バークリーがミステリの隙間から垣間見せた、絶望感・孤独感・そして世界への怨嗟はいかばかりか。だが思うのだ。まだ信じていた頃のはずの『プリーストリー氏の問題』でさえ充満する皮肉な視点こそが、バークリーをそのようなキモヲタに堕落させた最大の問題ではなかったか。この視点さえなければ、彼は彼の望む愛が手に入れられたのではないか。
 私などが言うまでもなく、歳など無関係に、まともな人は確固たる愛情を築き、賑やかで幸福な未来へと進むことができる。皮肉なバークリーなどではなく、そんなまともな人にこそ《青年》の資格があり、その青年に選ばれた幸福な女性と共に、素晴らしく、光に満ち、温かく、何よりも幸せに、カップルを作り、夫婦を作り、家庭を作り上げることができるのだ。いやそうあってもらわねば困る。というわけで、末永くお幸せに。