不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

冥い天使のための音楽/倉阪鬼一郎

 長編小説ではしばしば、散文詩的なパートが挿入され、(ミステリの場合)犯行シーンやら犯人の妄想やらが、人物や性別を特定しないよう慎重に、かつ思わせぶりに描写される。そこに叙述の罠を仕掛けるのも日常茶飯事だが、物語の薬味として雰囲気を盛り上げることもでき(特に他のパートが平易な内容の場合)、作家のよく利用するところである。
 倉阪鬼一郎はこれがうまい作家である。『冥い天使のための音楽』も同様に、散文詩的シーンが、真犯人の狂気と恐怖を描き出す。が、全体的に、その手のシーンが比率高過ぎやしまいか。ページ数にすると、半分行くのでは? ストーリーを追う観点からは、この手の散文詩は「あ、なんか殺した」程度にしか機能しない。プロット面でも叙述トリックを仕掛けてくるのが関の山。また、文章を味わう観点からも、ここまで量が多くなると、他の平易なシーンのパートとの落差が大き過ぎ、作品そのものとの距離感を計りあぐねてしまうのだ。個人的には鬱陶しかった面もあることを告白しておこう。
 とはいえ、相変わらず変なことをやってくれて面白かった。もともと完成度に過度な期待をかけられない作家だけに、これはこれで満足すべきだろう。蛇足ながら、サントリーホール全日空ホテルにお持ち帰り、という段は笑った。実際にやる奴はどれ位いるのだろうか?