パンドラ/谷甲州
- 作者: 谷甲州
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2004/12
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しかし、『パンドラ』において谷甲州は、このフローをばっさりカットしてしまった。ここで為されるのは「驚愕→登場人物のアイデアの閃き→事実として確定」である。「ひょっとして、こういうことでは?」という登場人物の思い付きが、いつの間にか結論となって人口に膾炙し、地の文もそれを当然として進み、作者は遂にそれを引っ繰り返さない。『パンドラ』には仮説の検証などない。そもそも仮説が存在しない。主役級の登場人物のアイデアは、速やかに悉く《真実》となる。谷甲州がSF的文法を弁えているか以前の問題として、私は、作者がそういう人間だからこうなったのではと思えて仕方ない。即ち、自分の言っていることは正しいと信じて疑わない人種。自分が間違っているなど想像もできない人種。ミステリ作家やSF作家には、懐疑に沈む人種の方が向いている。谷甲州は、それとは正反対の人種なのではないか。
……と思って上巻はうんざりしながら読んだのだが、下巻に至り、谷甲州の真の狙いが別にあることに気付いた。国際協力の下、地球人は宇宙に打って出る。そこで各国間のエゴがぶつかるのだ。これが非常にリアル。ここで感心し、似たような視点から上巻を読み返すと、作者は終始、《SF上のアイデア》ではなく、《SF的シチュエーションにおける、人間社会》を向いているのだった。そう言えば全編、文学的な潤いに欠けており、「」付きの台詞も極端に少ない。地の文は情緒ではなく、事実記載を司る。これはひょっとするとSF小説ではなく、SFルポタージュではないのか。
こう考えると、谷甲州が前述の人種であることも容認できるのである。懐疑に沈む人種に、良質のルポは書けないだろうから。
というわけで、『パンドラ』は傑作だと思い直した次第。もっともこのスタイルなら、全編にわたる主人公を設定せずに、各章全く別々の登場人物を出し、オムニバス形式・群像劇にして、重層的・多面的に人間社会を描きあげるべきであった。少なくとも私はそう思う。