不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ハイドン交響曲第86番、ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》より前奏曲と愛の死、ブラームス交響曲第2番。指揮はサー・サイモン・ラトル

 最初の和音が鳴り響いた瞬間、新日本フィルとの差は歴然とする。ていうか絶対届きません。無理。顔を洗っても無理なため、五体を挿げ替えて出直すしかない感じです。続くリズムの何と弾むこと! メロディーの美しいこと! アインザッツの揃っていること! ……あり得ん。こういうの聴くと、日本のオケ聴けなくなっちゃうよなあ。

 ハイドンは編成を絞っており、しかも対向配置。演奏内容は上述のとおりであり、かつ細部に色々仕掛け(パートバランスがいじくられたり)があって楽し過ぎ。基本的にはピリオド楽派の影響を受けたスタイルで、溌剌とした表情が主力。ハイドンの魅力を満喫しました。なおこの曲、なぜかハイティンク指揮ドレスデン・シュターツカペレの5月来日公演とかぶっているのだが、あちらはピリオドの影響をさほど気にせず、ドレスデン・シュターツカペレの素晴らしい音色にものを言わせる演奏だった。いずれも甲乙つけ難い。
 ワーグナーからはフル編成。6日前、私はラトルとベルリン・フィルを《輝かしい》と評したが、あれ?今日は音色がいい感じで黒光りしてませんか? というわけで、何もかもがもう最高ですた。惜しいのは、ラスト、ラトルがまだ指揮棒を下ろしていないのに拍手を始めた馬鹿がいたことだ。強拍から入る拍手だったので、俺ってこの曲知ってんだぞエッヘン、というやつが、自分勝手に「もう音楽の余韻は消えた」と判断してバチバチ始めたのであろう。どうしてこういう奴を日本刑法は取り締まっていないのか。社会通念に照らせば当然、即時射殺だろ。
 ブラームスは、重量級の素晴らしい演奏。黒光りする暗い音色はこの曲でも続き、ラトルとベルリン・フィルの多様性を思い知る。ていうかこいつら本当に何でもできるのか! というわけで何の憂いもなくエキサイトできました。感謝。ホルンが何回か音を外したのはまあご愛嬌、フィナーレでラトルが割と派手に振り間違えたのも、鳴っている音自体に影響は僅少だったから良しとしよう。問題は、間髪入れず大声でフライングブラボーする馬鹿。どうしてこういう野蛮な行動ができるのか? それは恐らく、奴が人間ではなく野獣だからである。よって殺害しても器物損壊罪にしか問われないと解すべきだ。家族がいる可能性を勘案すれば、動物愛護法とかで罰が加重されるのはやむを得まいが。