不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

暗黒館の殺人/綾辻行人

暗黒館の殺人 (上) (講談社ノベルス)

暗黒館の殺人 (上) (講談社ノベルス)

暗黒館の殺人 (下) (講談社ノベルス)

暗黒館の殺人 (下) (講談社ノベルス)

 世間的な評価というやつは、創作者本来の指向と必ずしも一致しない。たとえば山口雅也だ。彼は当初、本格ミステリの旗手と評価されていたが、作家性の核心は『ミステリーズ』『マニアックス』にあるのではないだろうか。『続・日本殺人事件』『奇偶』も、その内容からすると、書きたいことを書いたのだと思われる。問題なのは『生ける屍の死』や《キッド・ピストルズ》シリーズ。確かにあのような作品は山口雅也にしか書き得ないが、彼は巷間言われるような「変な世界設定をして、独特なルールを用いて本格ミステリを組み立てる」作家では、断じてない。それは彼の一面に過ぎず、本質ではないと思う。

 私見によれば、綾辻行人もそのような傾向の強い作家である。そのデビュー時の環境によって、松本清張並みに《ド素人がよく主張する》分岐点になった彼だが、本来の持ち味は、幻想的・ホラー的な情感の演出にある。デビュー当初は文章が生硬だったので顕在化しなかったが、年齢を重ねて文章が独特な味を帯びるに及び、もう誰の目にも明らかとなった。島田荘司との対談で「本格は雰囲気だと思います」と発言していたのも、今から思えば納得できる。そしてこの指向性は必然的に、本格ミステリと終生添い遂げることを難しくさせる。『霧越邸殺人事件』で造営された、超自然要素がミステリ的には何も影響しない独自の世界こそ、綾辻行人の本質への橋頭堡なのではないかと、個人的には思える。

 『暗黒館』は、《館》シリーズにおいて綾辻行人が初めて、やりたいことを十全にやり遂げた作品である。綾辻の本質に鈍感な読者、或いはそのような本質はどうでもいいと思っている読者は失望するだろうが、私は非常に楽しめた。上巻で描出される、館の雰囲気が特に素晴らしい。もちろん、ミステリ的には、本書は長過ぎる。上巻は不要でさえあるかもしれない。しかし綾辻のやりたかった《雰囲気の演出》の観点からは、決して長くない。というわけで、その小ネタぶりにも関わらず、『暗黒館の殺人』は傑作である。適切なベクトルの期待には応えてくれよう。

 思ったのだが、綾辻行人において《クローズド・サークル》は、サスペンスを盛り上げるためではなく、下界の現実を締め出し。場を異界化させるために機能している。ある意味「パノラマ島綺譚」のオマージュなのではないか。特に『水車館』『迷路館』『霧越邸』『時計館』、そして『暗黒館』は。