不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

蛇の形/M・ウォルターズ

蛇の形 (創元推理文庫)

蛇の形 (創元推理文庫)

 ミネット・ウォルターズを読むのは本当に久しぶりである。『女彫刻家』の文庫化以来だものなあ。

 で、『蛇の形』は傑作であった。
 ある雨の晩、ミセス・ラニラは、道端で隣人の黒人、アニー・バッツが死にかけているのに出くわす。日頃の奇妙な言動からご近所の鼻つまみ者だったアニーの死は、案の定警察にはまともに取り合ってもらえず、交通事故死として処理される。しかしミセス・ラニラは死に際のアニーの目が忘れられず、アニーは殺されたのだと一人主張する。当然、彼女の主張は誰にも受け入れられない。ミセス・ラニラは結果的にノイローゼとなり、近所や主人、挙句は母親からも狂人視され、彼女の結婚生活は危機に瀕してしまう。すんでのところで彼女と夫はこれを回避、イギリスを出て海外を点々とする生活を始めるのだった。
 ……そして二十年後。ラニラ家は帰国した。
 だがミセス・ラニラは忘れていなかった。昔日の雪辱を果たさんと、この二十年間、着々と準備を重ねていたのだ。時は満ちた。彼女は遂に、その調査結果を小出しにしつつ、真相に迫り始める。

 最大のポイントは、二十年間も一人で(父親にだけは知らせていたが)ネチネチと事件を調べ上げているミセス・ラニラの粘着性である。その動機は、アニーの敵を討ち正義を実現する、なんて薄っぺらなものではない。そこには、自分の意見を(即ち自分を)根こそぎ否定した警察・家族・ご近所への怨念が込めらる。しかし復讐ばかりに取り憑かれているわけではない。彼女は彼女なり夫を愛し、父母を敬愛し、ご近所に好意を抱いている。それらのポジティブな側面と、粘着質なマイナスエネルギーが、矛盾なく並立している。しかもラストでは、しっかりと日常に回収されてしまう。これらが本書最大の読みどころだ。

 主人公が何を知っており、何を知らないのか、読者には事前に何も教えてくれないのが面白い。これによって、読者にとって意外でも主人公は澄ましているシーンが多い一方、読者・主人公双方がショックを受けるような事実も多々判明する。この混交が、読者と主人公の距離感を絶妙に保ち、善意と悪意がないまぜになった主人公の姿を読者に最上のバランスで印象付けることとなる。

 参りました。最近の海外本格はつまらんと言うあなたに。