不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

狗/小川勝己

狗 (ハヤカワ・ミステリワールド)

狗 (ハヤカワ・ミステリワールド)

 小川勝己が遂に、悪女ものに正面きって挑んだ作品。鬼畜ノワールの名手の名を(割と)欲しい侭にしている彼にとっては、ある意味真価が問われる短編集だ。結論から言えば彼は成功を収めた。もっとも、ここで言う悪女は、基本的にはファム・ファタルであり、男性主人公の堕落・破滅の原因ではあるが、能動的な役割を果たすとは限らない。
「蝋燭遊戯」
 ここでのファム・ファタルは単に無自覚・傍迷惑なだけかもしれない。ただし致命的なので、読者はともかく主人公はたまったものではない。コメディタッチの、それでいて悲惨な物語である。

「老人と膿」
 この作品だけ、痛快さを持っている。とはいえこの痛快さも歪んでいるのは小川勝己らしい。ファム・ファタルたる主人公は、因果応報正義の実現を掲げて行動をとるのだが、恐らく実態は自分が意趣返しをしたかっただけだろう。論より証拠、アフターケアは皆無なのである。

「You裡」
 お客に対しストーキングに近い執着を見せる、バーの若い女。彼女は間違いなく狂気に駆られているが、その狂気が男性主人公に染み込んでゆく様が見所か。男の家庭が実は崩壊しているのも、高ポイントである。

「代償」
 お前は気色悪いと言われて同僚に振られた、うだつの上がらない男性教師。彼が、その代償として生徒の母(かなりのヤリ手)と浮気を繰り広げる。あくまで代償な以上、ファム・ファタルじゃない気もするが、結局運命は主人公を破滅に追いやる。浮気が人生の破滅に至るなんて話は、ミステリでは非常にありがち。小川勝己の筆も、その〈ありがち〉の範囲を出ていない。これはこれで高品質だが、やはりこの作家には〈ならでは〉を求めたい。

「夢の報酬」
 収録短編中ではもっともミステリらしいミステリ。バンドという夢を追う仲間たちの活写が印象的で、これにより話し全体が活き活きと躍動し始める。ミステリ上の趣向は、特に目覚しいものでもないが、真相が明らかになった瞬間の恐ろしさは、『狗』中でも随一やも知れぬ。

 小川勝己ファンは読んで損なし。