不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

空の境界/奈須きのこ

空の境界 上 (講談社ノベルス)

空の境界 上 (講談社ノベルス)

空の境界 下 (講談社ノベルス)

空の境界 下 (講談社ノベルス)

 読んだ範囲内でのみ語るが、あなたが上遠野浩平西尾維新らの感性に共通するものを感じていたとしよう。その感覚は確かに胸の中にあるのだが、はっきり指摘できない。モヤモヤしていたあなたは、偶々『空の境界』を読む機会を得る。読み始めて少し経てば、あなたは「ああ、これこれ」と納得するに違いない。(私自身に知識はないがそれを承知で言ってしまえば)他のジャンルにも通じる《今様》の典型例であることも、容易に想像が付く。なるほどこれは里程標だ。それも飛び切り印象的な。これはそんな作品である。

 作品の出来自体も非常に良いと思う。
 確かに文章はやや生硬で、先述の上遠野・西尾の二名の方が遥かにこなれた文章を書く。しかしこれは奈須きのこが未熟だからではない。計算づくとまでは言わないが、これはこれで味というか、作者の個性に昇華されている。冷たい戦闘シーンなどその最たるものだし、ドロドロ描こうと思えばいくらでもやれる場面でも(そして前述の三人なら間違いなくそうする。上遠野はちょっと抑えるかも知れんが)、クールにさっぱりと描出する。ただし、あっさりでないのは注意すべき。また、地の文・科白双方とも饒舌だが、作者の人格や見解が前面に出るような(或いはそう錯覚させるような)瞬間は皆無である。作者は常に冷静に、物語と登場人物、そしてテーマを扱う。結果的に、登場人物たちは作者自身から距離を置かれており、その分全体像を俯瞰しやすい。後続の作家たちとはまた別の、これもまた素晴らしい視点を持った作品といえよう。

 というわけで『空の境界』、ひょっとして傑作かも。夢中とまでは行かなかったが、非常に楽しめたのも事実。新伝奇、笠井潔、同人、懐古主義者(悪い意味で)、偏見持ちなどなど、今の時点では外野が非常に煩いため、そういうのに耳を閉ざせる人にはお薦め。