不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

レイニー・レイニー・ブルー/柄刀一

レイニー・レイニー・ブルー (カッパ・ノベルス)

レイニー・レイニー・ブルー (カッパ・ノベルス)

 『ifの迷宮』で出て来た登場人物を主人公にした、連作短編集(長編に転ずるような仕掛けはなし)。光文社ノベルスでは『OZの迷宮』も傑作だっただけに大いに期待したのだが……。

 ミステリ的に見ると、特に斬新な切り口はない。ていうかトリックのためのトリックしかない感じで、非常に詰まらない。また、一部暗号では「それくらい気付け」と苛々しさえする。謎も小物ばかりであり、本格の名手たる柄刀にとって、決して名誉になる出来ではない。

 しかし最大の問題は、柄刀の文章である。

 その厳しい物言いゆえに「熊ん蜂」の異名を持つ主人公、斗志八。ご多分に漏れず、彼がそんな態度をとるのは、人一倍の優しい心を持っているからである。とまあここまでは良い。しかし、以上のことを地の文で説明してしまうのは問題だ。理想を語れば、登場人物の性格はその行間からのみ感知されるべきであって、直接的な言語を介するのは最上の方法ではない。しかもそれが地の文でなされているということは、まさに作者=神自ら「決め付け」を行っているに等しい。小説とは、自分の言いたいことを直接語らず、物語を通してシンボリックに読者に伝える表現技法であると思う。要するに、言外/行間に意味を込めるというわけだ。
 『レイニー・レイニー・ブルー』において、柄刀一はこれを放棄し、自らの言葉で物語を定義しにかかっている。敢えてしなかっただけか、それとも最初からできなかったのか。後者のような気がして仕方ないのだが如何か。

 さらに付言すれば、文の末尾に「……」を付け過ぎである。重要シーンで必ず出て来ることから、恐らく作者はこれで余韻を持たせたいのだと思う。しかし「……」の濫用はたいへん見苦しい。締りがなくなるし、変に勿体ぶっているといった不要な悪印象を招く。何かに対する熱い思いをぶちまけるようなロマンティックな作品(対本格の『アリア系銀河鉄道』とか『OZの迷宮』、対生命の尊厳である『ifの迷宮』など。駄作だがロマンティックではあった『シクラメンと見えない密室』でも良い)であれば、これでも構わないと思う。しかし『レイニー・レイニー・ブルー』は、あくまでも普通の本格ミステリが志向されており、冷静な筆致が要求される。そこら辺のTPOに対応できていないのが残念である。