不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

シュターツカペレ・ドレスデン

  1. ウェーベルンパッサカリア
  2. ハイドン交響曲第86番
  3. ブラームス交響曲第1番

指揮は、ベルナルト・ハイティンク

 先週聴いたとおりの素晴らしい音色で、特にハイドン(それも、俗称なしのマイナーめの曲を!)が聴けたのは嬉しかった。活き活きとしながらも落ち着いた挙措! いい意味で古典そのものといった感じである。やはりハイドンモーツァルトは、卓越した技術とセンスで料理しない限り、真の意味での魅力を垣間見せてくれないようだ。
 ウェーベルンは曲からして浪漫派の残照が濃厚な曲であり、ふくよかなシュターツカペレ・ドレスデンの音色がよく似合う。ていうかこのクラスのオケで聴けたことは、今後しばらく忘れられない経験となるだろう。最初のピチカートから耳が釘付けだったが、全般的に、この曲を当たり前に演奏していたのが良かった。やはり一流の音楽家にあっては、この曲もまた古典に過ぎないのであろう。聴衆の反応がこの曲で一番鈍かったのは、残念というか何と言うか。

 後半は少々不満が残る。馥郁たる音色によるブラームスは、確かにそれだけでじゅうぶん素晴らしい。事実、その柔らかい音色には何度も感動しそうになった。しかし、これはハイティンクの芸風だから仕方ない面もあるが、劇性が不足気味だった。個人的に、ブラームスの第一交響曲は演奏効果勝負の曲だと思っている。従って、渋い内容本位の演奏では、魅力が全開とならない。これが他の交響曲(第2〜第4)、あるいはプログラムが来日発表当初のショスタコーヴィチ交響曲第8番であれば、ハイティンクの手法でも(というかハイティンクの方向性だからこそ)、演奏者のコンディションが同じであれば、120%の満足を得られたことであろう。要は曲そのものが不満だったのだ。

 もっとも、こうなることは予想済みであった。だからこそ、私は今回来日プログラムのメイン曲目中、もっとも〈渋さ〉勝負が可能なブルックナー交響曲第8番の日を重視していたのだ。しかし私は聴けなかった。ホールに足を運ぶどころか、超遠隔地の、それも職場から出ることすらできなかったのである。残念以上に、強い憤激と怨嗟の念を覚える。

 アンコールはブラームスハンガリー舞曲第一番。これもいい演奏であり、折り目正しく奏楽されることが少ないだけに、貴重な体験となった。この曲も好きじゃないんだがね。