不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

マウリツィオ・ポリーニ

  1. シェーンベルク:6つの小品
  2. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番&第8番《悲愴》
  3. シェーンベルク:3つの小品
  4. シューマン:幻想曲

 狂騒の5月第二弾、そしてメイン・イベントその壱。
 昔のポリーニは、眩しいばかりの輝かしい音色で、硬派に曲を料理した。硬質だが万人受けする可能性の高いその演奏は、しばしば大理石の彫刻に喩えられた。だがそんな彼も60歳半ばに至り、確かに変わり始めている。無論、軟派になったわけではない。彼は相変わらず竹を割ったように、曖昧な部分を残さない奏楽と演奏を目指す。しかし、視界を真っ白にするような強い光は弱まった。彼の音色からは、今や微光しか感じられない。しかしこの薄明かりもまた素晴らしい。確かに彼はもはや太陽ではない。だが、月光には月光の素晴らしさがある。勢いに任せていた傾向もないではなかった昔日と比べ、今のポリーニは更に思慮深くなった。ポリーニ自身は詩情を出そうとしていない。だが、そこに独特の〈味わい〉を感じる程度なら、決して間違いでも電波でもないと思う。
 これは確かに、彼の心身にわたる老いによるものであろう。だがこれは、変節ではない。もちろん、老醜でもさらさらない。彼がこうなるのは必然であり、かつ結果としてこれまた素晴らしい成果を生んだと思う。そんな老い方は、とても羨ましい。

 当日のプログラムは、そんなポリーニにはぴったりであった。特にシェーンベルクと、アンコールのショパンノクターンエチュード)が最高である。無論、ベートーヴェンシューマンも素晴らしかった。返す返すも東京にいないのが残念である。ショパン・プログラムも聴きに行きたかった。元来ショパンは嫌いな私がこう言うのだから、余程良かったのだと思われたい。