硝子のハンマー/貴志祐介
- 作者: 貴志祐介
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/04/21
- メディア: 単行本
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いずれにせよ『硝子のハンマー』は良質な本格ミステリである。ファンは安心して読める。
私が特に感心したのは、ネタそのものではなく、ネタの見せ方である。この作品では、トリックの推理が繰り返され、複数個の仮説が現れては否定される。『毒入りチョコレート事件』『プリズム』辺りの真価を理解できないミステリ・ファンならば、この手のミステリには以下のことを期待するだろう。
《後で現れる推理は、先に現れた推理よりも優れていなければならず、最後の真相はもっとも優れていなければならない》
『硝子のハンマー』は上記の期待に沿う(ように見える)。ガイシュツの推理が現行の推理を上回っていることは決してないし、ラストの真相は作中の〈解〉の中では最上質だ。しかしよく考えてみると、これはネタそのものの質によるのではなく、それらのネタがどのような扱いで描かれているかにかかっている。本格のネタというのは骨子だけでは非常にアホらしい。しかし、枝葉末節にこだわったり、物語という分厚い肉付けを加えることで、読みでが出るし馬鹿馬鹿しさも薄れ、場合によっては真実味さえ出て来る。
『硝子のハンマー』において、初期段階でなされる推理は単にアイデアとして提示されるだけで、物語上の演出は皆無だ。しかし後になればなるほど、それらには肉付けがなされる。分析や検証が徐々に長くなり、無味乾燥なディスカッションだけではなく、出向いての質問や捜索など、具体的なアクションによって整合性が探られるようになる。真相部分にいたってはそれだけで完全に《物語》化し、感情移入をもって読者を真相へ誘おうとする。
恐らく貴志祐介の発想の中に、「本格として」「ミステリとして」というものはない。あるのはあくまで「物語として」のエスカレーションだ。そしてそれが偶々、推理の質がエスカレーションしているように見えるほど、ミステリの流れと同期しているのである。
とはいえ、凄くうまいことには替わりない。この作家が寡作なのも当然かもしれない。この練達の至芸、見逃すには素晴らし過ぎる。