不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

幻夜/東野圭吾

幻夜

幻夜

 読者の興味は、「最高傑作『白夜行』の跡を受けて立てるか?」という一点に集中する。
 結論から述べれば、受けて立つことは少々難しい。しかし、単体で見ればこれは快作であり、年間ベストに名を連ねることはじゅうぶん可能だと言いたい。少なくとも、『ゲームの名は誘拐』『手紙』『殺人の門』よりは格段に素晴らしい。装丁の良さも手伝って、非常に好意的な印象を覚えている。

 『白夜行』で、東野圭吾は中心人物・亮司と雪穂の内面を一切描かなかった。しかし『幻夜』においては様相がかなり異なっている。『幻夜』も中心人物は二人いる。その名を雅也と美冬という。両名共に、その描かれ方が『白夜行』の手法とはかけ離れており、ここが評価の別れ目となる。
 変化は雅也の方に特に著しい。彼は物語の相当な部分で視点人物であり、内面を詳細に描写される。美冬に惹かれ悪の道を踏みしめつつも、食堂の娘の温情にほだされ、「昼の人生を歩んでいたらどうなっただろう」と夢想する。このネチネチした描写は大変に痛々しく、東野圭吾の面目躍如たるものがある。そんな彼の内面の葛藤こそが、『幻夜』最大の特徴にして読みどころとなっている。

 一方の美冬は、『白夜行』の雪穂と同じで直接的な内面描写は皆無だ。しかし、雪穂の時とは決定的に異なり、雅也と共に悪巧みする場面が存在する。それも相当数。しかも、雅也は美冬に悪事のレクチャーを受ける感じであり、イニシアチブは完全に彼女の手にある。そのためかどうか、美冬が〈悪〉についてアジり出す場面も非常に多い。もちろんそれが美冬の本音だとはどこにも書いていないので、彼女の真意は最後までよくわからないのだが、『白夜行』の時は、雪穂が悪事に手を染めている場面は皆無で、ただ行間に仄めかされたり、他の登場人物が想像をたくましくしていただけなのに比べれば、圧倒的と言っても良い差が生じている。

 これらは何を意味するのか? さらに筆鋒鋭く〈悪〉に迫る、という見方もできようが、私の目には神秘性の剥奪にしか映らない。『白夜行』が衝撃的だったのは、〈悪〉が物語の背後に蠢いていたからだ。そこに読者は、少なくとも私は魅力を感じたのである。『幻夜』は〈悪〉に魅入られた男の悲劇というだけで、〈悪〉そのものはかなり露出している。もちろんこれはこれで素晴らしい作品だ。しかし、私には前作の印象が強過ぎた。それだけだ。