青柳いづみこ(ピアノ)
青柳いづみこのピアノ・リサイタルを聴きに行った。
曲目は、シューベルト、ラヴェル、リスト(以上前半)、ショパン、ドビュッシー、サティ(以上後半)の、それぞれワルツのみ。題して≪浮遊する円舞曲≫。
これを洒落ていると捉えるか、馬鹿げていると捉えるかはひとそれぞれだろう。なお、サティのワルツは詩の朗読つきであった。
前半はトークなし、真面目なクラシック・リサイタルのスタイルで進行。ワルツのリズムが全然活かされてなかったというか、「嗚呼この人確か音大の教授だったな」と思い出す。ラヴェルの退廃美が全然出てねえの。リストも、熱演だがちょっと硬かったような。
後半からはトークを交え始めた。なかなか面白かったです。演奏もなぜか後半の方が良く、特にドビュッシーなんか素晴らしかった。やはりこの人はショパンやドビュッシーであって、ラヴェルの人じゃないんだと感じ入った次第。ラストのサティも格別で、ラヴェルの人間性を風刺した詩が、関西弁で語られるのもまた乙なものであった。
その後、詩の朗読者とピアニストがトークに入ったのだが、ここで非常に興味深いことを聞けた。青柳いづみこは、ピアノを「自分の道だが親に強制されたもの」とし、
執筆活動を「自分が自分の意思で好きでやっていること」とした。どちらも大切なものだとは強調していたが、どちらが好きかは、少なくとも私には明らかなように思われた。
言葉を手繰るトークを挟んだ方が、演奏も良かったという傍証もある。やはり、自分の意思で始めていないことを好きでいることは非常に難しく、その難しいことをできている人が、本当に素晴らしい<仕事>ができるんだろう。ただ、そういう人は、人間として信用できるのだろうか? わからない。本当にわからない。