不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

死せるものすべてに/J・コナリー

死せるものすべてに〈上〉 (講談社文庫)

死せるものすべてに〈上〉 (講談社文庫)

死せるものすべてに〈下〉 (講談社文庫)

死せるものすべてに〈下〉 (講談社文庫)

 バーで酩酊中に妻子を惨殺された、元NY市警刑事バード。そんな中、トラヴェリング・マンと名乗る男から、娘の顔の皮が送られてきた……。

 面白そうだったので読んでみたが、期待は裏切られた。全編を覆う憂鬱で重苦しい雰囲気は、うざい面もあるが読み応えのあるものだ。問題は、プロットである。作者自身が”砂時計構造”と誇る、上巻の話が終わると、別の話が下巻で始まる、という構造が問題。ここで、コナリーは全然別のプロットを、混ぜ合わせも円環させも対照させもせず、ただただ横に並べる。上巻と下巻のエピソードは、まるで別物であり、事件関係者が僅かにかぶるだけ。更に致命的なのは、トラヴェリング・マンが以上二つのエピソードに直接は噛まないということ。こいつはこいつで、違ったところで主人公と対決する。つまり、この作品に含まれる物語は、都合三つであり、いずれも事実上独立している。

 しかもどれも重い。

 本来であれば長編三本となっていたはずだが、無理矢理一作に押し込まれ、意味なく上下二分冊。各エピソードがやや窮屈そうに読めるのは俺だけか。特に下巻はその傾向が強い。この言い方を変えれば、「下巻は怒涛の展開!」となるのだろう。一個一個は悪くないのだが、白米(大盛り)とかけ饂飩(大盛り)と食パン(一斤)を一緒に出されたようで不愉快だ。

 作者の腕がどうかは、敢えて問わない。しかし、心得違いをしている、と超偉そうなことをぬかしたくなるほど、読書意欲を殺がれた作品であった。