不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

OZの迷宮/柄刀一

OZの迷宮 (カッパ・ノベルス)

OZの迷宮 (カッパ・ノベルス)

 光文社らしからぬセンスのカバーに彩られた、柄刀一の新作。連作短編集で、八編中五編が書き下ろし。二編が『本格推理』(光文社文庫)に既に載ってたという所に少し脱力するものを感じるが、(しかも読み覚えがあるところが更にブルー。いや昔はチェックしておったのですよ)まあ作家の出自を今更代えるわけにもいかず、当事はちゃんと鮎川先生が編集してたのさアハハ、などと極力前向きな自己暗示をかけておく。……かからないけどさ。

 内容であるが、まず一編一編は従来の柄刀一。つまり、島田荘司を継ぐとさえ言われる「奇想の作家」としての彼の顔が楽しめる。「絵の中で溺れた男」とか、「ケンタウロスの殺人」とかでそれは顕著。トリック等もシンプルかつ膝を打つものが多く、奇想倒れに終わらないのは偉とすべきだろう。

 ここまではいつも通りだ。凄いのはここから。連作短編として見た場合、物語はまったく別の顔を持つのだ。
「どうせ、真相が変わるとかでしょ。もしくは裏で別の殺人があったとか」
 ところが『OZの迷宮』は、そういうありきたりな予断を裏切る。「密室の矢」「逆密室の夕べ」辺りはふむふむと読み流しても、人は三篇目の「獅子の城」で「おおっ」と思うはずだ。そして、その段階で作者が何をやりたいのか理解できるに違いない。
「名探偵は生き方ではなく、宿命である。」
 冒頭に掲げられたこの言葉を、読者は三編目以降常に意識して読む進むはずだ。そこにミステリ的仕掛けは一切ない。だがこのドラマトゥルギーは、本格にしかあり得ないものである。「カーカー」鳴くか「クイーンクイーン」鳴く馬鹿しか惹き付けそうにないこの物語は、しかしだからこそ儚く美しい。ヲタの気持ち悪い牙城、だがそれゆえの美もあると信じたい。数年間封印していた《本格スピリット》なる言葉を、久しぶりに使いたいと思う。そう、まさにこれはそんな精神に溢れた傑作である。