不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ/P・オリアリー

不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ (ハヤカワ文庫SF)

不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ (ハヤカワ文庫SF)

 1962年秋にUFOを目撃した兄弟は、40年後、二人とも死んでいた。しかしどちらも自分の死に気付かないまま、エイリアンが蜂鳥を媒介として構築した、神経ネットワークの中で、兄はCM監督、弟は助教授として生活していた。そんな中、タカハシという男が疎遠になっていた兄と弟を互いに探すようそそのかす。

 作品の内容に関しては、解説で神林長平が言い尽くしている。禿同というやつであり、付け加えるべきことは何もない。そこで、どうでもいいことを書こう。「後継者」って、一体何を後継したら後継者なんだろうとふと思った。オリアリーはディックの後継者だと言われている。確かにそういう要素はある。仮想世界で生きる死人なんて設定はその最たるものだろう。
 しかし、神林長平も述べているように、本作の状況は割と理詰めで構築され、見通しが良く爽快感さえ漂う。ご存知のように、ディックの特徴には、解決されず錯綜する混沌、克服されない閉塞感というのもある。それを具備しない作家をディックの後継者と呼ぶのは〈正しい〉のだろうか? 色々あったが二人は兄弟、なぁんて感じでちょっと心温まる展開を見せるのも、ディックにおいては(絶対ではないけれど)想定しがたい。だが一方で、〈内容〉をこうだと言い切れる人間は一人もいない、ということも思う。つまり、中身の質が違うからといってディックとオリアリーを違うタイプなんだと言い切るのはちょっと傲慢だし冒険である。設定等の外面(まあ内面か外面かを判断するのも傲慢だが)が似ている=同じタイプと判断するのも、ある意味〈正しい〉かもしれないのだ。まあ作家を分類することには何の意味もないのだが、会社でしか脳を使わない人生は更に意味がない。ボケ防止の意味合いも若干含みつつ、以上のようなことを愚考した次第。結論は当然出ないけど。

 まあそんな悩みはともかく、このSFは素晴らしい作品であり、一読の価値は十分あると保障しよう。間違いなくA級の作家が、ここにいるのである。