不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

夜鳥/モーリス・ルヴェル

夜鳥 (創元推理文庫)

夜鳥 (創元推理文庫)

 過去に春陽堂にて発行されていたらしい、短編集。このたび創元にて復刊。解説が小酒井不木甲賀三郎江戸川乱歩夢野久作。とてつもなき豪華リレーである。ただし、言っていることは爺の語りに等しく、採るべき所は皆無。こういう解説は現代には通用しないが、まあ当時はこれでも良かったんでしょうな。実作力と読解力が混同されていた幸福な時代の産物。訳者の田中早苗は1945年に死んでいることもあり、全体に古代風味の雰囲気が流れる。
 内容もその予断を裏切らない。もっともこれは当時の邦訳の問題点というか特徴を孕みに孕んだ文章であり、つまりは訳者の責任である(断言)。戦前の探偵小説をまったく抵抗なく読める人にはしっくり来るだろう。私は無理。まあその違和感自体を楽しんだら全然OKなわけだが。

 しかしいくら楽しめても、この『夜鳥』を読んでルヴェルという作家を理解するのはかなり難しい。訳者や作家本人や本国以外の時代性が、我々の前に分厚すぎるカーテンとして立ちふさがるからである。ましてやショートショートなので、ちょっとした言葉遣いだけで印象180°変わるだろう。ここら辺の事情は、根本的には現代でも同じだろうが、程度としては昔の方が……いやまあそうとも限らないか。ニール・ケアリーが東江に曲解されてないと誰に断言できるの? 原文で十二分に読める人に聞いてみたいです。でも語学力と読解力は別物なので、なかなか難しいところです。まあ、フルトヴェングラー指揮のベートーヴェンだと思って接するべきでしょうね。

 予断だが、「推理小説の翻訳は田中早苗でなければならなーい」と喚き散らして東江や三川を全否定する人間は、はっきり言えばキチガイ扱いされて終わるはず。ところが、同じことはクラシックでは起きないのだ。つくづく異常な世界だと思う。まあ今更どうでもいいことではあるが。