不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

阿修羅ガール/舞城王太郎

阿修羅ガール

阿修羅ガール

 舞城にはこれまであまり触れて来なかったが、何気に最近のお気に入りなのだ。そんな彼が、新刊を出した。一部では人気作家の舞城だが、新刊出てもいまいち目立たない。ていうかミステリの棚にありませんでした。なんだかJ文学の棚にあった気が。今回、装丁もそれっぽいし、ミステリ作家とは認識されなくなってきたのか……?

 しかし、舞城は常に舞城である。『阿修羅ガール』は、そのことを改めて認識させる。これまでと同じく一人称だが、珍しくも女性、それも女子高生の一人称である。でも四郎や三郎の時と全然変わってない。一応、少女らしいと言えなくもない恋愛模様を描き、何とか女子高生らしくしようとするが、他の点では嬉しくなるほどいつもの調子。囲まれたら過剰防衛に走り、益体もないことぐだぐだ考えつつ手が先に動くなど、思考・行動様式が非常にいつもの通り。
 ストーリーの方も、毎度ながら怒涛。第一部における、2ちゃんを更に凶悪化させた《天の声》とかは笑えるし、第二部の滅茶苦茶なストーリー展開&イメージ暴走も、なかなか良い。そして第三部では、支離滅裂なストーリーをとりあえず着地させる(ミステリ的にではなく)。『阿修羅ガール』に限らず、話の収束について、舞城は案外律儀なのだ。物語を《構築》することに対し、舞城はなんちゃって保守的であり、この点がエンタメに受け容れられた秘訣かもしれない。

 思うに、舞城最大の魅力は、文章にある。
 竹本健治のそれが畏怖の念を呼ぶなら、舞城は読者をひたすらに圧倒し、振り回し、引きずり回す。「どうしてこの人はこんな表現が出来るのだろう」ではなく、「なんじゃこの文章は?!」と読者を惑乱し巻き込む、この上なく躁で熱い文章なのだ。これが計算だったらとんでもない策士だと思うが、今のところそれはないんじゃないか。(根拠もない思い込み)

 何はともあれ、ファンなら必読だろう。そうじゃない人には強くは勧めない(メフィスト賞=駄目の構図お前ら信じすぎ)が、まあ損ではないはず、と言っておこう。