不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

街の灯/北村薫

街の灯 (本格ミステリ・マスターズ)

街の灯 (本格ミステリ・マスターズ)

 北村薫という作家に対する印象が、最近やっと固まり始めた。

 水のような、それも湧き水や渓流のそれではなく、水道水のそれのような、かなり人工的な透明性を保つ物語。毎回、北村薫の主人公たちは、度を越えて純粋で繊細であり、実は非常にエキセントリックな人々だ。他人の非常識にはさも寛容であるかのように振舞う彼らは、しかし良識には極端に厳しい。「悪意」と判断したものを異界の物のように扱う彼らは、間違いなく実際の本当の人生を歩めはしない。いいとこ、乱歩が描く深窓の令嬢@非犯人ケースであろう。しかし北村薫は、彼らの心を通し、「人が生きること」もしくは「人と人」の喜び、そして哀しみを表現する。面白く読めるかどうかは別として、空々しく白々しいと言う他ない。
 しかし北村薫の凄いところは、結果はどうあれ、これら全ての仕上げを計算でやる点だ。作家という生き物がよく語る「登場人物がひとりでに動き出した」なんて瞬間は、こと北村にあっては絶無。会話の隅々にまで、作者という神が登場人物の心理を完璧に把握しつつ書いているのが露骨。それができるほどキャラの心理が単純化されているとも言う。とは言え、それが「読者にとって理解しやすい」とイコールではない辺り、北村薫の特異な立ち位置を明らかにしている。

 一方で、北村薫が仕組む「ミステリ」は、物語そのものに輪をかけて人工的。《覆面作家シリーズ》辺りからこの傾向は顕著となってきた。ていうか物語の中では間違いなく浮いている。トリックやその意図も回りくどくなる一方。まさに「ためにする」ミステリ。本格の中でしか存在を許されそうにない。これに関して、今は判断を保留したい。

 最新作『街の灯』は、そんな北村薫観をいや増す作品である。とは言え、何個か新しい試みがあり、注目すべきシリーズが始まったとの印象。その最たるものは、昭和七年という時代性。作者は従来、全てのテーマを人工的に扱ってきたわけだが、〈時代〉を今後どのように料理するか、非常に楽しみである。今のところ、戦前の上流階級の雰囲気を、北村薫流で処理している。しかし今後濃くなるであろう戦争の影を、いつもの人工性に封じ込められるのか、お手並み拝見と行きたい。
ミステリ的には、新しいホームズ/ワトソン像の提示を大いに評価しよう。「ためにするミステリ」については、よくできているが先述のように判断保留。