不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

哀れなるものたち/アラスター・グレイ

哀れなるものたち (ハヤカワepiブック・プラネット)

哀れなるものたち (ハヤカワepiブック・プラネット)

 小説家アラスター・グレイが入手した古書『スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話』には、19世紀後半にの医師の自伝という体裁を整えていた。だがその内容たるや……。著者の親友である医学者が、身投げした若い美女の肉体を救うべく、彼女の赤ん坊の脳を移植するという奇跡的な手術をしたというのだ。著者はその蘇生した美女に恋をし、結婚を申し込むが……。膨大な資料を検証した結果、アラスター・グレイはこの書物の内容が真実であると確信し、出版を決意したという。
『ラナーク』同様、終局的には《愛》を扱う物語である。一人(?)の女を巡る物語なのだから、より直裁に《恋愛》を扱った物語ということになるが、扱っているものは最終的により広範なものとなる。作中作の主人公が《公衆衛生官》を名乗っているように、本書は社会的な事物にも関心を寄せる――少なくともその余地がある。そしてその余地は、『哀れなるものたち』の終盤が近付くに従って有効活用されていく、と述べておこう。
 本書はSFであるともファンタジーであるとも、そしてメタフィクション、ガチガチの純文学、いやいやこれはもう奇譚であるとも言えるが、無論そのようなジャンル分けは全く意味をなさない。『ラナーク』同様、リーダビリティも高く単純に、読んでいるだけで面白い。作者自身による挿絵も不思議な感興を高める、実にいい小説である。おすすめです。

薪の結婚/ジョナサン・キャロル

薪の結婚 (創元推理文庫)

薪の結婚 (創元推理文庫)

 最近恋人ダグと別れた古書業者のミランダは、学生時代に付き合っていた不良のジェイムズが死んだことを知る。衝撃を受けつつも仕事を続けるミランダは、かつて幾多の芸術家と浮名を流した90を超えた老婆フランシス・ハッチと知り合い、交流を深めていった。そんなある日、美術品バイヤーのヒュー・オークリーがミランダの前に現れる。急速に惹かれ合う二人。だがヒューには妻子がいた……。
 ということで、愛にまつわるドロドロの話が続くのかなあと思わされるのだが、もちろんそこはジョナサン・キャロル、それだけで済むはずがない。やがて現実は捻じ曲がり、過去と未来が交錯し、連綿と続く宿命・運命が主人公を襲うわけだが、その内容と顛末は秘した方が良いだろう。第一部は若干ユーモラスに進み超現実的な要素は「混入する」程度だが、第二部では雰囲気が重くなって、超現実的なことを主体に話は進む。深刻はます一方となるが、それをキャロルは非常に丁寧に描き出し、テーマと話の大枠は骨太なのに、細部は繊細であるといういつもながら素晴らしい成果を収めている。
 浅羽莢子亡き後、キャロル翻訳はどうなってしまうのか(実に、実に残念ではあるが、どうせ売れないしなどと言わざるを得ない、といった事情もある)と思っていたのだが、市田泉は彼女の仕事を立派に引き継いでおり、違和感は全くない。あとがきによると、次のキャロル翻訳も進行中である由、まずは安心である。とはいえ、『薪の結婚』がある程度売れないと、翻訳原稿はお蔵入りになりかねない。キャロルに興味のある層の購読を、是非とも希う次第である。