不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

都響スペシャル

19時〜 サントリーホール

  1. ドヴォルザークスターバト・マーテル
  • シモナ・シャトゥロヴァー(ソプラノ)
  • ヤナ・ヴァリンゲロヴァー(メゾ・ソプラノ)
  • トマシュ・ユハース(テノール
  • ペテル・ミクラーシュ(バス)
  • 晋友会合唱団(合唱)
  • 東京都交響楽団管弦楽
  • ヤクブ・フルシャ(指揮)

 とても親密な雰囲気の中でおこなわれた、素晴らしい演奏会となった。チェコからやって来た四人の独唱者は素晴らしい出来でしたが、声高に歌うというよりも、しんみり音楽を奏でている感じでとても親近感が持てた。Pブロックを潰して入った晋友会合唱団も同種の方向性の演奏を披露し、合唱が好調なときに感じられる「声はやっぱりいいねえ」という感覚を十分に得られたものと考えます。そしてオーケストラが素晴らしい! この曲は今までピンと来ずそれほど詳しくも聴いて来ませんでしたが、オーケストラが単なる伴奏に終わらず、ちゃんとメイン・メロディーを奏でて、それだけ取り出して聴いても立派に音楽になるように書かれていて、それでいて声を潰さないよう大音響では鳴らないように精妙にコントロールされてるんですね。これは素直にドヴォルザークに感心しました。そして都響の皆さんも気持ちが入っていて*1、シルクのような柔らかな響きによる、本当に素晴らしい演奏を見せてくれました。いやもうほんと、弦も管も、か細く儚く、絶妙に歌うんです。この曲は、嗚咽するでも吼えるように号泣するでもなく、息子が十字架にかけられた聖母の哀しみを思い頭を垂れ、彼我の救いを祈り見届け、魂を昇華する音楽であったのです。かけがえのない宝石以上にかけがえのない、美しい音楽であったと思います。「あまり知らない曲」から「ドヴォルザークの最高傑作」へと、私の中で一気にランクが上がりました。
 なお、演奏参加者全員が、お互いに十分聴き合っているのも十分感じ取れました。誰も前に出て過度に目立とうとせず、美しく悲しく儚い音楽を、じっくり聴かせるのだという目的意識を共有していたのが痛切に感じられました。その姿勢がなんと感動的だったことか! これはやはり、指揮者ヤクブ・フルシャの功績でしょう。素晴らしく実直でまっすぐで、でも懐の深い指揮ぶりでした。1981年生まれの若手ですが、いやはや感服いたしました。
 ということで、これまでクーベリック盤でしか聴いて来なかったこの曲に対するイメージがガラリと変わった演奏会だったのですが、twitterを見ていると、「ドライブ感がない」と文句を付けている人がいて驚かされました。フルシャは、ドライブ感なんかどう考えても最初から狙っていないわけで、この批判はあまりにも一面的だと感じられた。
 ただし、今日のフルシャらの演奏だと、最後の最後、アーメンのフーガの盛り上がりが妙に浮いて聴こえたのも事実。どうもその呟きをした人は、昔、マンフレッド・ホーネック指揮チェコ・フィルでこの曲を聴いたことがあるらしく、そちらはもっと濃密で劇的であったよし。正直、今の私には「濃密で劇的」なドヴォルザークの《スターバト・マーテル》は想像がつかないんですが、相反する傾向の演奏も平気な顔をして存在して、なおかつどっちも素晴らしいというのがクラシック音楽の特徴の一つであることは間違いない。そして確かに、「濃密で劇的」な演奏であれば、最後のアーメン・フーガも浮かないだろう。いつかそういう演奏に当たるのを期待しておきたい。

*1:この演奏に「気合いが入っている」と言うのは凄くずれるなと思ったのでこの表現。