不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2010(東京2日目)

19時〜 サントリーホール

  1. ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死
  2. ブルックナー交響曲第9番 ニ短調

 指揮者が小澤征爾(発売前)→ネルソンス&サロネン(発売時)→ネルソンス&プレートル&メスト(先月)とコロコロ変わった。小澤征爾サロネンがよんどころなき事情でキャンセルしたわけです。しかも来日公演中でオフ日だった11月3日に、コントラバス奏者ゲオルク・シュトラッカ氏が富士山で滑落死。呪われているとしか言いようがない。実際、今日もコントラバス7本でした。奇数であるのが何とも虚しい。
 さて今回の来日公演、ネルソンスが振った日は日程的な問題から行けなかったのだが、果たしてメストの振る今日はどうであったか? 曲目からして、フライング拍手やフライング・ブラボーが入りそうで嫌な予感がしていたけれど……。
 結論から申し上げれば、嫌な予感は外れて聴衆の行儀は素晴らしく良かったですが、演奏自体が少々残念なことになった。
 前半は良かったんです。隅々まで管理し過ぎじゃね?と言いたくなるぐらい、全てを指揮者の統制下に置いた演奏。ノーブルだけれど実にきっちり鳴らしており、ふわりとしたサウンドがほとんどない。ウィーン・フィルらしい、どんなときでもパートがくっきり分かれていて、それでいて全体でも綺麗で決して濁らない音は健在である。しかしそれがファンタジーやらエモーションにあまり繋がらない。何といっていいか、浮遊も浮上も飛翔もしてくれないのである。各奏者の自主性に委ねた部分がほとんどないと言い換えてもいいです。ただし駄目というわけではなく、独特の緊張感があって、これはこれで非常に面白い演奏でありました。
 問題は後半、特に第二楽章以降。メストは少なくとも第一楽章と第二楽章では、全てを自己の統制下に入れることは前半そのままに、音楽全体を煽り立てるように指揮。硬質な音色で楽想を一点一角疎かにせず掘り起こし、にもかかわらずテンポは速め、サウンドもド迫力という新鮮な演奏を展開していた*1。私には、この方向性で料理された第三楽章が想像できず、期待と不安に駆られながら聴いていたわけです。その矢先、第二楽章トリオの最後で、魔の時が訪れる。
 トリオの終盤で、1stヴァイオリンの誰かが音形を余計に多く弾いてしまった。これはまずいとメストが押しとどめ、やれやれ何とかなったと安心した直後、再帰して来たスケルツォ主部冒頭でなんと指揮者と木管群がお見合い、吹く奏者と吹かない奏者が出てしまいアインザッツが崩壊。メストのキューが悪かったのか、1stヴァイオリンのミスの余波で弦が額譜めくりに時間がかかった影響か、ここでオケが崩壊してしまった。何とか持ち直しはしたものの、以降は最後までちぐはぐな演奏になってしまいました。メストは総奏で少しずつズレて行きそうになる縦の線を押しとどめるのに必死で、それ以上手が回っていないような印象すらありました。これには、挽回しようとした一部奏者の力みと、指揮者の(煽り立てているとはいっても)方向性が違っていたからかも知れません。各奏者が魂を込めて弾けば到達できる場所は、たぶんメストの目指した場所ではなかったんじゃないでしょうか。
 はっきり言いましょう。ブルックナーの後半は、単純に粗かった。実際に音を出すオケの責任は当然のこととして、指揮にも問題無しとはしません。gdgdになりかけていた後半ですら、一瞬たりとも柔らかい音を出させなかったメストの力量は確かに凄いですが、少々肩に力が入り過ぎている。チューリヒ歌劇場の来日公演で、あの冷たく精妙な《椿姫》《ばらの騎士》を聴かせた指揮者とは思えません(前半のワーグナーでは若干その片鱗が見えましたが)。ううむ今日はババ引いたな。

*1:メストはサロネンの代打だったんですが、この点で、この二人似ているかも。サロネンがブル9振っても似たような感じになるんじゃないかな。