不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団第563回定期演奏会

サントリーホール:19時〜

  1. シューベルト:5つのドイツ舞曲D90
  2. バーバー:ヴァイオリン協奏曲
  3. デュティユー:交響曲第1番

 コリヤ・ブラッハーがシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲を弾く予定だったのだが、急病ということで渡辺玲子が代役に立ち、曲目もバーバーに変更になった。これによりガチ度合いが若干後退したが、それでも一般的な曲が皆無というかなりハードなプログラムになった。そのせいか、それとも不景気のせいか、客の入りはいまいちでした。6〜7割程度?
 しかしそれにもめげず、東京交響楽団は見事な演奏を披露。最初のシューベルトから、いい感じで鳴ってましたね。バーバーも渡辺玲子の技巧と表現意欲に好印象を抱きました。
 当夜の白眉は後半のデュティユー。こういう曲をやらせると、秋山和慶は本当にうまいと思います。東京交響楽団も、前半比でさらに力を入れていたように思います。「かっちり、きっちり」系の演奏としては、恐らくこれ以上はなかなか望めないんじゃないか。メロディーが希薄なこの音楽には、暗い想念と、怜悧な構造が同居している。それを強く感じさせました。正直、デュティユーはいまいちピンと来ない作曲家だったんですが、この演奏で認識を完全に改めさせられました。強奏部で音が濁らないこと、弱音部でのピンと張り詰めた緊張感……いずれも素晴らしかった。
 禅の知識は、主に京極夏彦の『鉄鼠の檻』で仕入れたんですが、その恥ずかしい前提で語れば、思うに、音楽を聴くということは、「小悟」の連続なのだと思います*1。今まで何とも感じなかった――つまり、何がどういいのかわからなかった――曲が、ある日突然、素晴らしいと気が付く。そのきっかけは、演奏の質によるのかも知れない。生であるせいだったり、録音が良かったり、あるいは単純に聴き手の内面的変化の問題かも知れない。しかしいずれにせよ、今まで石に見えていたものが、紛れもない玉になるのです。こういう素晴らしい瞬間があるから、音楽を聴くのはやめられない。そしてだからこそ、何回聴いてもあまり好きになれない曲を、再び聴くことをやめるべきではないのです。
 この演奏会では、私にはその瞬間が訪れたのです。秋山和慶と東京交響楽団には感謝申し上げたい。

*1:そして「大悟」は音楽家にしかできないことのような気がするんですが、まあそれはおきます。