不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団第562回定期演奏会

サントリーホール:18時〜

  1. ジョン・アダムズ:歌劇《フラワリング・ツリー》
  • ジェシカ・リヴェラ(クムダ/S)
  • ラッセル・トーマス(王子/T)
  • ジョナサン・レマル(語り部/Bs‐Br)
  • ルシニ・シディ(舞踏)
  • エコ・スプリヤント(舞踏)
  • アストリ・クスマ・ワルダニ(舞踏)
  • 東響コーラス(合唱)
  • 東京交響楽団管弦楽
  • 大友直人(指揮)

 セミステージ上演。舞台の半分くらいを使って、舞台上の舞台を組んでました。オケはその前に座ってたんで、必然的にいつもの半分程度のスペースに収まることになります。でも別段窮屈そうじゃない。合唱はP席に入ってました。
 この曲は2006年にウィーンで初演されたもの。ストーリーはインドの民話ほとんどそのままらしい。貧しい娘クムダが、母のために木に変身して美しい花を付け、これを自ら売ってお金を作っていたところ、木に変身する点込みで王子に見初められて結婚。しかしこの王子、なかなか彼女に手を付けず、「寝床を花でいっぱいにしよう」などと電波な要求を出し、クムダが木に変身してこれを適えてからやっと愛を交わす。しかしそのままハッピーエンドというわけではありません。王子の妹がクムダの美貌に嫉妬してしまったのです。彼女は、花を所望してクムダを変身させたところで、花も葉もむしり、枝をバキバキ折ってしまいます。クムダは慌てて人間の姿に戻ろうとしますが、うまく行かず、結局、胴だけの木材なのか肉塊なのかよくわからない物体にしかなれませんでした。そして見世物として、道端で悲しい歌を歌う存在に成り果ててしまったのです。一方、愛する新妻が行方不明になった王子は、落ち込んで放浪の旅に出てしまいます。その後、王子の妹が嫁いだ先の王国の都で、王子の妹の助けもあって、クムダと王子は再会を果たします。そして王子がクムダに水をかけ、折れた枝や葉を接いで、クムダは晴れて元の美しい娘の姿に戻るのです。――遠藤徹辺りに小説化してもらったら、途中でクムダが大変グロいことになるに違いない。
 ピーター・セラーズの演出は、クムダと王子という二人の登場人物を、歌手と舞踏家(ジャワ舞踏!)に分けて表現していました。語り部も舞台上にいて、舞台上での他の演者の動きを見守るような仕草をしょっちゅうしていました。なお、もう一人、中年女性の踊り手がおり、彼女は、クムダと王子以外の登場人物の動きを担当(クムダの母とか姉とか王子の妹とか)。このジャワの踊りが、スローモーさゆえに舞台のシンボリックな印象を強めていて面白かったです。だから、リヴェラがちょっと太めでも、トーマスが背の高い丸々とした黒人でも、全然違和感を覚えずに済みました。
 どうも作曲者も演出家も、このオペラを「エコ」の観点で捉えている模様です。というかセラーズがはっきり「自然も、そして私たち人間も再生することができる」みたいなことを言ってましたね。で、セラーズはジョン・アダムズとほとんど共同してこの作品を作って来ているので、彼の意見はアダムズと共通する部分が多いと思われます。
 音楽はゲンダイオンガクっぽい前衛的なものではなく*1、オケの様々な音色を聴かせることに重点が置かれていて、メロディーはあまり重視されていませんが、調性の感覚が色濃く残っています。そして次第にまろやか・なめらかになって行き、最後は和音に向かって収斂していきます。大迫力の音響で勝負するよりも、音のパレットを駆使した繊細な動きが印象的でした。リコーダーすらあったからなあ。で、作品テーマ的には、この「和」に向かっての「収斂」がキモのようです。粗筋は完全に「再生」の物語と言えるし、演出上も、たとえば王子の妹も最後には許され(というか責められない。悪かったと謝っているような仕草もありました)、肉塊になっている最中はクムダ役の踊り手が不気味な老婆(?)の仮面を付け、治るとこれを外すなど、演技も明らかにそこら辺を目指している。第一幕で歌手と舞踏家が別に動き、第二幕で歌手と舞踏家が一緒に動く、という趣向も絶対最後の「和」を意識していたんだと思います。
 演奏ですが、まず歌手陣が素晴らしかったです。名前を知っている人は誰もいなかったんですが、皆凄くレベルが高い。合唱も非常によく練られていました。第二幕で男声の一部がちょっとフライングしてしまったのは残念。日本の合唱団はなぜか暗譜で歌うことが多いですけど、「楽譜見ずに歌える」まで歌い込むことは必要かも知れませんが、本番に楽譜を持って行ってもいいような気がします。少なくとも、合理的な風習じゃないと思うんだぜ。オーケストラの状態も上々で、大友直人は素直かつ着実に楽譜を音化していました。
 というわけで、ちょっと感動してしまった。まさか現代オペラで、これほど普通の感動を味わえるとは意外です。考えさせられたり、興味深かったりするタイプの公演になると思い込んでいたんですが……。良い経験ができました。東響に感謝。

*1:ゆえに、前衛でなければコンテンポラリーではない、と思い込んでいる人にはヒステリックに否定されるタイプの作品なのでしょう。