不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

中継ステーション/クリフォード・D・シマック

中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)

中継ステーション (ハヤカワ文庫 SF 265)

 ウィスコンシン州の山奥のには、一見ごく普通の農家があった。だがそこの住人イノック・ウォーレスは、南北戦争の生き残りで100年の時を不老で過ごす男だった。そしてその農家は、実は銀河中央本部が統べる交通システムの中継ステーションで、旅する宇宙人たちが立ち寄る場所だった。イノックはひょんなことから、この中継ステーションの管理を任されていたのである。とはいえ宇宙人はひっきりなしにやって来るわけでもなく、来たとしても団体ではやって来ないため、イノックは概ね静かな生活を送っていたのだが……。
 1963年に書かれた作品で、オールド・スタイルによるSFである。凄い科学もガジェットも出て来ない。物語は最初のうち、イノックの静かな生活を描き、次第にある危機が姿を現してくる。この危機に際してイノックは、地球人と銀河文明との唯一の接点になっているがゆえに苦悩する。その苦悩は、公共精神に溢れた善意と倫理に基づくものだ。またその危機も実にファジーな手法で解決されてしまう。恐らく今のSF作家であれば恥ずかしくて書けないだろう。シマックが「田園的」「牧歌的」「ほのぼのとした」などと言われるのがよくわかる。しかしこの牧歌的な雰囲気は、とても懐かしく、とても魅力的なのだ。
 もちろん、人類文明に対する冷徹な眼差しもまたSFの重要な要素である。しかし、人間を信じよう、一緒に手に手を取って進もうというメッセージもまた、「脳味噌お花畑」と切って捨てるにはあまりにも魅惑的である。しかもそのメッセージは、『中継ステーション』では落ち着いた、真摯な筆致で発せられる。アジテーションであれば暑苦しかったろうが、本書においてはそんなことは全くない。それどころか非常に内省的であったりもするのだ。詩情豊かなまったりしたSFを好む人に、強くおすすめしたい。
 以下、どうでもいい話。片田舎にある他世界への扉と、それを人知れず守る地球人、という構図はR・C・ウィルスン『時に架ける橋』(1989)でも見られた。面白いのは、『中継ステーション』では社会的な理想が(大袈裟にではないが)語られるのに対し、『時に架ける橋』では恋愛がメインに据えられ、物語はあくまで個人の人間ドラマの範囲にとどまり、世界には波及しない。この2作品の間の26年で、我々はあまりに理想を語らなくなったのかも知れない。あるいは皆、世界を諦めたのか……。