不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

目黒の狂女/戸板康二

 中村雅楽全集第三巻。基本的な作風は『團十郎切腹事件』『グリーン車の子供』と何ら変わるところはない。硬質で引き締まった文章から、俳優回りの人間模様が鮮やかに匂い立ってくる。そして事件の謎が解き明かされた後も、世の無常に対する万感の想いまでは割り切れず、消え残るのである。たとえば「芸養子」。この作品で起きる事件そのものはハッピーかつ明快に解決される。だが物語の冒頭では、その事件後現代に至るまでに当の本人が親よりも先に死ぬと明らかにされているのだ。ここに私は芳しき余情と、戸板康二のうまさを見る。
 いかにもミステリという謎と解明、もちろんそれもまた良い。しかし私はそれよりも、丁寧に作られた人間模様にこのシリーズの特色を見る。演芸という特殊な世界を舞台にしても、人間の情と業が何ら変わりなく、また人はそれら無しには生きて行けないのである。これを優しく見守る雅楽の視線もまた、最初は単に地味なだけの印象を読者に与えるかもしれないが、段々と味わいを増していくことだろう。私は先ほど「戸板の筆は硬質」と書いたが、それは登場人物の情動を生々しくは書いていないというだけのことである。作者は、切り詰めた文章に人物の感情と感傷と必要最小限に、しかし読み込めば胸に染み入るような形で盛り込む。それが本シリーズ最大の魅力なのだろう。
 というわけで、第一巻・第二巻に続けて、今回もおすすめの一冊である。