不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ファインダーの中の女/アラン・ラッセル

ファインダーの中の女 (集英社文庫)

ファインダーの中の女 (集英社文庫)

 パパラッチであるカメラマン、グラハムは、国際的なスターを(ダイアナ元妃のような状況で)死なせてしまったという苦い経験を持っていた。そのスターの死がグラハムのせいだとは露見せず、彼は暫く巡礼をするなどして慎ましく暮らしていたのだが、ある日、情報組織の一員と名乗る謎の男にこの件で脅迫され、心ならずも(謎の男の主張どおりであれば)「国家の安全のため」有名人の醜聞を撮る日々を送ることになる。そんな中、グラハムは、ハリウッドのスター女優レイニーの密会を撮ることになったのだが……。
 パパラッチと人気ハリウッド女優の恋と、ある陰謀を描く。《ローマの休日》の名科白がそこここに引用され、かの名画へのオマージュといった趣があって興味深い。とはいえ一番強く感じられるのは陰謀劇ならびにサスペンスの要素である。殺し屋の奇怪な人物造形、暗躍する怪しげな黒幕、節目節目で主人公を襲うピンチなど、かような話であれば定番と思われる諸事項も、600ページを超える余裕のある作品容量を活かして、詰め込み過ぎの窮屈さを感じさせず、無理なく作品に収められている。その他の登場人物のキャラも、かなり類型的*1だが、その分簡単に感情移入できて良い。少なくとも書割り状態の人物はおらず、人間性への深い洞察を作品に求めなければ、これで必要十分であろう。さらに、最初から最後まで読みやすく、ストーリーテリングも真に巧みで読者を飽きさせず、リーダビリティは極めて高い。難しいことを一切抜きにして楽しめ、しかもお気軽に接することができる、素晴らしい娯楽小説といえよう。逆に言うと、難しいことしか求めない読者には向かない、低俗的かつ通俗的な内容なのだが、あっけらかんと、しかし基本には忠実にエンターテインメントしてくれる小説、私は大好きです。マトモな読み手なら皆そうに違いありません!(断言)
 というわけで、『ファインダーの中の女』は、ほとんど話題に上らないのが不思議なくらいの快作であり、難しいこと・ありがたいことしか求めない頑迷固陋な読者を除き、面白い娯楽小説を読みたい人には広くお薦めしたい。

*1:たとえば、主人公や殺し屋のベッドシーンの後で、どちらの場合も相手の女が「いつもの私は、こんな女じゃないの」などと言っており爆笑してしまった。ただしこれを含め、類型的な人物造形は、読みやすさに貢献すべく意図的にやっていると考えられる。