不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

我らが影歩みし所/ケヴィン・ギルフォイル

我らが影歩みし所〈上〉 (扶桑社ミステリー)

我らが影歩みし所〈上〉 (扶桑社ミステリー)

我らが影歩みし所〈下〉 (扶桑社ミステリー)

我らが影歩みし所〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 クローンが不妊治療の一手段として定着しつつある近未来を舞台に、愛娘を惨殺された医師が、娘の膣内に残留していた精液からクローンを作り、犯人の顔立ちを割り出そうとする、その17年の軌跡を描く。
 クローンとは何か、犯罪気質は遺伝するのか、愛娘を惨殺された怨念は年月の前にどう変化するのかといった、粗筋から予想されるテーマももちろん追求される。それも深く。池上冬樹は解説で、「決して重くは見せずに、軽快に物語を運んでいく」と評する。しかし、物語の雰囲気は全体的に陰々滅々としており、提起される問題も重い。殺人等のドラマティックなイベントを起こしても、作者は辺りを払うかのような静かな筆遣いを見せ、重厚な味わいを一瞬たりとも緩ませない。愉悦に心弾ませながら読めるとはとても言えず、サスペンス的な緊張感も希薄だ(あっても散発的かつ一瞬で終わる)。皮肉な結末はなかなか良いけれど、娯楽小説として大いに推薦するには、違和感を覚えざるを得ない。
 この小説の下巻では、数千万人が参加する《シャドー・ワールド》というネットゲームが、物語上で大きな役割を果たす。つまり、この小説はクローンと同時に、仮想現実という、これまた近未来に現実化してもおかしくない事項を題材として、社会の動きをシミュレーションしたSFでもあるのだ。ただし情が勝った人間ドラマに終始するので、イーガンやレムのような思考実験としてのスリリングな展開は期待できない。
 作品最大の眼目は、やはり各登場人物の、正直ありきたりだがその分堅実に描かれる重苦しい葛藤と苦悩にこそある。それを期待する向きにはおすすめできる作品だ。