大誘拐/天藤真
- 作者: 天藤真
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2000/07/21
- メディア: 文庫
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身代金を要求しようと、紀州随一の金持ちのお婆さんを誘拐した三人組だったが……という作品。
天藤真をユーモア・ミステリの書き手と信じている人は多い。しかし実態は断じて違う。彼は確かに、ユーモラスに(少なくとも途中までは)話を運ぶことが多く、登場人物に対する視線は温かいのだが、登場人物はほぼ例外なく非常にシビアかつシニカルな事態に直面させられる。人間が素で持つ醜さがラスト近くで全開となる作品は山を為す。そして我々読者は、物語を読み終えて振り返るとき、天藤真の優しく温かい筆致が、シビアかつシニカルな《人間の真実》に対する、せめてもの、なけなしの慰安の響きしか奏でていなかったことに気付くだろう。逆に言えば、天藤真は、《人間の真実》をかくも鮮烈に描き出すことができてなお、登場人物すなわち人間を、突き放すことができなかったのである。ここに天藤真一流の、素晴らしき《弱さ》と《強さ》を見ることができよう。
本質的には以上のとおりだと思っているので、私は天藤真をユーモア・ミステリの書き手だとは全く考えていない。というか、そのようなレッテルには違和感を抱く。もちろんユーモア・ミステリが重くなってはいけないという法はない。事実、確か赤川次郎だったと思うが、「ユーモア・ミステリというのは、殺人事件等の殺伐とした空気を和らげるための、せめてもの手段。真相が明らかになったら重くなるのは当たり前」と述べていた。しかし天藤真は、そこから更に踏み込んで、人間の醜さを遠慮会釈なく抉り出す。ユーモア・ミステリ作家だと認定してしまうには、作風があまりにも深刻ではないだろうか。
しかし長編では唯一、終始一貫して楽しく読め、その意味でならばユーモア・ミステリと認めて良い作品がある。それが『大誘拐』だ。冒頭から終幕まで、凝った設定とプロットで一気に読ませ、かつ登場人物はほぼ全員魅力的であり、また読後感も非常に良い。このような長編を天藤真は他には書いていない。『鈍い球音』のみ若干かすっているが、筆のノリは『大誘拐』に比べると遜色がある*1し、かつ後味の悪さが少なからず混入するので、やはり『大誘拐』のみを《天藤真によるユーモア・ミステリ長編》としたい。
……とはいうものの、深く考えさせられる要素は存在する。それが何かはネタに係わるためここでは明示しないが、やはり天藤真が単純に無邪気な話を書くわけがないということであろう。ただし、これが後味の甘い苦いにあまり影響していない点で、やはり『大誘拐』は天藤真の長編の中では非常に特異な地位を占めているのだなと感じる。
いずれにせよ、完成度の面でも素晴らしい傑作である。読みやすいこともあり、広くお薦めできる逸品だ。
*1:もちろん『鈍い球音』のみを見れば非常な高水準である。