不壊の槍は折られましたが、何か?

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怪奇探偵小説傑作選3 久生十蘭集 ハムレット/久生十蘭

 恥ずかしながら生涯初十蘭である。あり得ない着手の遅さだが、しかし非常に闊達な書き振りで大いに楽しんだ。基本的に情愛ベースの狂おしさを、登場人物に遺憾なく発揮させるタイプの作品が多い。ドラマティックな展開が非常にはっきりしており、かつストーリーの盛り上げがうまい。文章も非常にリズムが良く、充実のひと時をもたらしてくれる。今後もお付き合いしたい作家である。
 以下、印象に残った作品をぽつぽつ。
 跡を継いだ息子に《貴様》と呼びかけながら、一代の高等遊民的な貴族が、自らの生涯を語る「湖畔」が、個人的にはベスト。弾む口調が素晴らしいです。
 オホーツク海の孤島における、一編の男女のドラマを悲しく描く、「海豹島」もなかなか良い。しかしこれ、場面想像すると笑いがこみ上げてきますな。
 「墓地展望亭」は、パリに留学中の黄色い猿と中欧の架空王国*1のお姫様が、よくわからんが恋に落ちる。しかも、簒奪騒ぎや革命騒ぎさえ起きてしまうのだ。設定の無茶さがたまらん。
 「地底獣国」は、シベリアの地底洞穴にでかい恐竜が棲んでいるという荒唐無稽な設定がたまらん。洞窟の中になぜジュラ紀の樹木が生えるほどの光が溢れているのか説明がほとんどないのは、むしろ潔い。
 そして寂しく哀しいラストを迎える「母子像」も印象的であった。母を想う子の心が痛々しくもいじらしく、出来事の悲劇性が際立ちます。
 代表作とされる「ハムレット」は、金持ちのアマチュア俳優が、ハムレットを演じているとき頭を打って、その後ずっとハムレットとして生きているという、物凄いバカミス。しかしなかなか含蓄に富んだ展開を見せるのが、十蘭の特徴……なのだろうか。前身たる「刺客」と合わせても、正直大傑作とは思わなかったが、面白く読んだことは間違いない。

*1:この手の設定は、「ボヘミアの醜聞」のような太古の昔から伝統であったといえるが、今や潰えている。第二次世界大戦後、あの地域は一面真っ赤になってしまったからなあ……。ヨーロッパに適当な王室でっち上げるにはなかなか好適な地域であったのだが。