不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

去年を待ちながら/フィリップ・K・ディック

Wanderer2006-01-13

 2055年、地球は国連事務総長(独裁者)モリナーリの指揮下、リーグ星との星間戦争にあった。その戦争に巻き込まれたのは、種の起源を地球人類と同じくするリリスター星人と同盟を結んでしまったからであった。で、とある大富豪の人工臓器移植医エリック・スイートセン(妻のキャサリンは同じ大富豪付のアンティーク・コレクター*1)は、モリナーリを担当するよう命ぜられる。一方、キャサリンはエリックとの不和が高じて禁断のドラッグJJ180を服用してしまい……。
 戦局やリリスター星陣営との関係性を考えると、モリナーリは明らかにムッソリーニに一部材を得たキャラクターであり、彼とスイートセン夫妻が物語の最重要ピースを構成する。ただし、小説の主人公はエリックだ。モリナーリは《意志》、キャサリンは《愛情》や《責任》に関して、各々エリックに働きかける。モリナーリやキャサリンは彼らなりに必死であり、その必死さがエリックにじわじわ効いてくる様は非常に印象的。あと、折に触れ登場人物が乗るタクシー(自動運転)がなかなかいい味を出しており、楽しい。
 パラレルワールドと時間が錯綜する後半は、まさにディックの独壇場というわけで、筆が冴え渡っている。プロットも破綻なくまとまっており、なかなか美しい。傑作の一つであることは間違いなかろう。『去年を待ちながら』がディックの代表作呼ばわりされる局面はなかなかないが、実はその水準に達している作品である。お薦め。

*1:という職業がある世界なんである。趣味ではなく。