不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

アマンダの影/キャロル・オコンネル

アマンダの影 (創元推理文庫)

アマンダの影 (創元推理文庫)

 猫かわいいよ猫。
 マロリー・シリーズ第二作目。マロリーの死が報じられるが、それは間違いであった。マロリーの古着を着て死んでいたのはアマンダ。何やら男関係で悲惨なことが起きたらしい……。一方、市警を休職しているマロリーは、彼女を慕うでかくて純朴でお金持ちな四十男(でも頭がいい)チャールズと共に、コンサルタント業を営んでいたが、そこに、自分の息子が念力少年ぽくて困っている父親+継母が相談に訪れる。
 『氷の天使』と比べて非常に読みやすく感じたが、これは作品の質が向上したわけではなく、多分私が慣れ、読むコツをつかんだだけに過ぎない。一人の作家を連続して読む場合は、このようにコツをつかむなどして、読み方の幅を広げられるので、今後も定期的に敢行したい。
 さて、『アマンダの影』は(思い返せば『氷の天使』もそうだったが)、程度の差こそあれ心に傷を負った者(マロリーが含まれることは想像に難くない)、あるいは傷つきやすい者が大挙して登場し、作者が彼らを温かく見守るという構造を有する。基本的にキャロル・オコンネルは性善説の信奉者だろう。このことは、皮肉な雰囲気よりも、痛ましい情感を重用する姿勢に表れている。また純粋さを肯定的に描くことも証拠の一つだ。とはいえ、ハッピーエンドに持ち込む指向は強くない。物語と登場人物はラストに至り何らかの光明や希望、安息を見出す。しかしそれらは決して問題の単純なる解決、全き至福を意味しない。単に懐疑に沈まず、絶望に暮れることもない、というだけだ。しかし人間には、それだけでも得がたき救済となっている。そうではないか? 過酷な現実と折り合いをつけ、今日も生を紡ぐには、それしかないのだから。
 従って必然的に、『アマンダの影』は登場人物中心に読み解くべき物語となる。印象的な登場人物は多く、シリーズ・レギュラーのドラマも重要であり、チャールズの報われない恋の行方(というか末路)への興味を、シリーズを読み通す原動力としても良いだろう。
 ミステリとしての作りは変わらず堅牢であり、捩じれたプロットが一本に織り成されてゆく様はなかなか見事。こちらの面でも備えは万全。実は広くお薦め可能かも。