不壊の槍は折られましたが、何か?

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凶器の貴公子/ボストン・テラン

凶器の貴公子 (文春文庫)

凶器の貴公子 (文春文庫)

 『真夜中へもう一歩』は、過剰とさえ思われるメタファーに満ちていた。しかし饒舌な主人公が一人称により凄い勢いで想念を書き記すため、主人公の性格や意識の流れを追いやすく、それを取っ掛かりに物語を読解しやすかった。
 『凶器の貴公子』は違う。この長編は三人称であり、二村シリーズに匹敵するほどの暗喩的な表現が駆使されるのだが、筆致は常に冷静で抑制も効いている。登場人物の内面も、もちろん決してダイレクトには描出されない。そもそも彼らの言動自体、決してわかりやすくないのだ。しかも、解説で杉江松恋が指摘するギリシャ神話との相関関係が、何やら象徴劇的な雰囲気さえ醸し出して来る。物語は終始しんねりむっつり進行し、ノワールに予想される死と暴力も確かにあるが、つきものであるはずの享楽性は皆無だ。印象的な文章表現が物語を埋め尽くすものの、作者がそれに淫することは決してない。それらの《表現》は、単に意味が取りにくい箇所として、寡黙にそっと、全編に敷き詰められてゆく。それらの《点》をストーリーまたはキャラクターという《線》に織り成す労は、読者が背負わねばならない。
 非常に疲れる読書であったことは確かだが、充実した時間ではあった。今年の海外エンタメ小説は、現時点では不作だが、その中では極めて印象深い一冊。