不壊の槍は折られましたが、何か?

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荒野の恋 第一部/桜庭一樹

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

 凄い。天才の筆だ。
 普通、恋愛小説は、甘さ・切なさ・酸っぱさ・嬉しさ・恥ずかしさ等をベースに展開されることが多い。それらの小説では、恋愛はハレとして、心浮き立つものとして捉えられている。作家側は、過剰・過敏になった登場人物の感情を描くことで、まず読者に《ああこいつ恋愛してるな》と納得させるわけだ。そして感動を狙う場合は、この過剰性でもって仕掛けてくる。また、恋愛は概ね好ましいものと捉えられており、特に若年者を主人公に据えた場合は、ガキが大人になること(責任感とかか?)を少し自覚する、なんてビルトゥングス要素を入れれば完璧。
 桜庭一樹は、『荒野の恋 第一部』で、以上のような方法論を全く採らない。中学生一年生の恋が、異様に淡々と語られる。恋愛のハレ、浮き立つような情感など、地の文には皆無だ。確かに主人公は恋愛する。成長もする。それらは別に暗いものではないし、異常でもなく、非常にありふれていて正常だ。しかし作者の筆は、それらを決して強調しない。飾り立てない。高らかに謳い上げれば必ずや嬉し恥ずかしになったところを、皮相になるでもなく粘着するでもなく、スルスルと通り過ぎる。恋愛や成長なんて生きていれば当然のことに過ぎない、世は並べて事もなし、といわんばかり。その完全な平静さは、まるで明鏡止水。にもかかわらず、終始見事なまでに恋愛小説としか言いようがない。そんな非常に奇妙な小説である。そして最後に立ち現れるのは、紛れもなく《女》という生き物なのだ。《女の子》という中間状態など存在しないことを、桜庭一樹の筆は鋭く、深く描き尽くす。正直ちょっとぞっとした。
 繰り返すがこれは実に素晴らしい筆である。三部作になるようだが、この後一体どうなってしまうのか楽しみだ。もし荒野がこのままで、しかし同時に、年齢の違いによる差異を出せるのであれば……私は桜庭一樹を神と呼ぼう。少なくとも一度は。そんな感じ。