アンサンブル・ゼフィロ
オリジナル楽器によるハルモニームジーク(木管中心の管楽合奏)でモーツァルトを聴くべく出陣。8本のピリオド・スタイルの木管と、4本のナチュラル・ホルンが居並ぶ様はさすがに壮観であった。
そして演奏! オリジナル管楽器の鄙びた音色は元々好きなのだが、その上演奏者も皆様ノリが良く(特にファゴットはリズムの刻みだけでも実に活き活きとして、全体を引き締める役割を担っていた)、モーツァルトを聴く悦びを心の底から堪能しました。こういう、全てわかった上でそれでもなお現世と生を肯定するような趣がある音楽って、うまい人がやると本当に素晴らしいですね。あと、モダン楽器の重厚な音色だと、ここまで軽い感じは出しにくかろうとも思った。いやあ本当に愉しかった。
特に前半とアンコールは印象的。モーツァルトの傑作オペラの数曲を、アンサンブル・ゼフィロのリーダーを務めるベルナルディーニ(オーボエ)が、趣味良く管楽器用に編曲していたのだが、これがもう凄く決まっていて……。原曲だと歌手が歌うところをオーボエやクラリネットが、実に心憎く《歌う》。でも各楽器を結構派手に使い回す編曲は、やっぱり21世紀に生きる人の編曲なんだなと思わされ興味深い。後半の《グラン・パルティータ》における楽器の使い方(こちらはモーツァルトの原曲)がとても地味に思えたのである。しかし勿論モーツァルトは唯一無二の天才である。たとえば、映画《アマデウス》でサリエリが恍惚としたのは、この曲の第三楽章冒頭なのだが、ここは何度聴いても、ネ申と感じてしまうのである。他にも「こいつ頭おかしいんじゃないか?」という瞬間が同じ曲の中で複数あるわけで、こういう作曲家でいい演奏に当たった時の感激は一入なのである。今日はまさに「いい演奏」であった。感謝したい。
というわけで、《フィガロの結婚》の《もう飛ぶまいぞこの蝶々》で全員足踏みしたり、アンコールの《ドン・ジョヴァンニ》コントルダンスで演奏者が客席に下りてきたり、デジカメで記念撮影をし始めるなどの寸劇を付け、現代音楽のパロディは無茶苦茶をやって笑いを取ったりしても、そういった小細工(失礼)さえ肯定的に受け止めることができた。私は甘いので、《演奏が良い》とかなり寛容になるわけです。演奏会を締めくくる最後のアンコールでは、真面目に音楽だけで勝負したのも好ましい。
……というわけで、気分が高揚したまま外に出ると、そこは金曜日の銀座。体が火照った時、いきなり外に出ると余計に寒く感じるものである。精神もまた同じ。有楽町を抜けると大分楽になるのは……やはり負け犬の証拠なんでしょうな。