不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

シュトゥットガルト放送交響楽団

  1. ベートーヴェン:《エグモント》序曲
  2. ヴォーン=ウィリアムズ:交響曲第6番
  3. ベートーヴェン交響曲第6番《田園》
  4. (アンコール)ワーグナー:《ローエングリン》第三幕への前奏曲

指揮:サー・ロジャー・ノリントン

 私の横に座っていた、痩せた禿の中年男が、鼻息立てねば呼吸できない人であった。そんな喧しい身体でよくもまあクラシックのコンサートに来れるものである。厚顔無恥なのか、それとも自分の立てている騒音が聞き取れないほどのトゥンボなのか。いずれにせよ、鼻息というのは本当に困る。要は普通に呼吸しているだけだし、蓄膿症等の病気の結果とも思われ、本人の意思によっても止められない可能性が高い。そもそも、本人の意図的行為ではないため、口頭で注意しても無駄になるだけだろう。口で呼吸させるわけにもいかん。口臭が凄かったり、「スーピー」だったのが「ハァハァ」に変わったりしたらもう目も当てられない。というわけで、騒音を消すためには結局殺すしかないわけだが、勿論そんなことをすると捕縛され、拘束期間中はコンサートに行けなくなる。ていうか死刑になったら誰がどう責任を取ってくれるというのか。私はバモイドオキ神に忠実であっただけなのに。
 というわけでその馬鹿には、特に注意しなかった。しかしどうしても我慢できなかったので、後半は勝手に席を移動する。いやもちろん、本当はいけないのである。チケットを購入したとはいえ、私は当該座席にしか着座する権利がないわけで(と言うか、指定された座席以外では、たとえ料金がより安い席に移ったとしても、私は無権利者である)、同じ料金エリアだからいいや、という問題ではない。しかし今日は、本当に緊急避難であったのだ。東京交響楽団の演奏会での座席移動の件も含め、音楽の神には赦免を希う次第であると共に、社会通念上許されない罪を犯したことをここに告白しておく。
 演奏は、そう、素晴らしかった。ノンビブラート奏法によるヴォーン=ウィリアムズの交響曲は、実にすっきりと、しかし迫力のある表現でまとめられた。戦争の影云々を(作曲者の言葉通りに)吹き飛ばし、純粋な器楽として、絶対音楽として、溌剌と、しかしネアカでは決してなく仕上げており、非常に感心した。響きがごちゃつかず、常に綺麗に整理されていたのにも強い感銘を受けた。素晴らしい指揮者とオーケストラだと思う。ピアニシモで奏されるフィナーレが実に美しかったのにも感動した。返す返すも鼻息馬鹿の存在が残念であった。やはり殺すべきだったかもしれない。
 ベートーヴェンも素晴らしいもの。特に《田園》第1楽章が感動的であり、速いテンポとキレの良いリズム、そして見通しの良い響きによって、この曲が《第5》並みに強固でガチガチの構成をもった音楽であることを証明していた。感動してしまいました。興味深かったのは第3楽章以降。演奏スタンスは前二楽章とまったく変わらないのだが、特に新鮮には聞こえなかった点(いや満足はしたんだが)。ひょっとするとこの曲、第3楽章〜フィナーレは、曲があまりにうまくできていて、いかな名指揮者・名オーケストラも、個性の出しようがないのではあるまいか。そう言えば、朝比奈隆もまだボケていなかった頃、同趣旨のこと言ってたなあ……。
 ノリントンのノリも昨日より更に面白く、まるでコメディアンでした。本当に楽しかったです。もちろん音楽だけでも素晴らしかった。今年のベストコンサートかもね。