荊の城/S・ウォーターズ
- 作者: サラ・ウォーターズ,中村有希
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2004/04/22
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ミステリとは何か、という設問に答えるのは難しいが、このような感想を持った以上、何らかの回答を示さねばならないだろう。とりあえず現時点で、私はミステリを以下のように定義する。
「登場人物の推理ないし物語の伏線により、隠されたor意外な事柄が、作品世界内の法則に則って浮かび上がってくるもの。この際、隠されたor意外な事柄の真否そのものは問わない」
上記の個人的定義を信じた場合、『荊の城』が引っ掛かるのは、推理や伏線の不在である。この物語には確かに意外な真相があり、話の節目で読者に明かされる。だが真相に至る過程には推理も伏線も存在せず、事前に予想する手段が皆無ゆえ必然的に〈意外〉となる真相が、突然主人公と読者の前に姿を現すに過ぎない。それはもはやミステリとは呼べない、というのが私のスタンスである。前作『半身』は若干の伏線が存在した(正確に言うと、伏線ではなく盲点)ので、ミステリと呼べたのだが……。
では『荊の城』はどういった小説なのか。
ズバリ言えば、百合小説である。
時代設定がヴィクトリア朝なので、当然ながら同性愛はタブー視されている。そもそもヘテロであっても性に関わる話はタブーとされた時代なので、カップルの片方が〈貴婦人〉であることも手伝い、当事者においてさえ背徳感は非常に強い。そしてこの背徳感こそが、『荊の城』全編の雰囲気、ひいては物語の性格を決定している。
今のイギリスは割とカミングアウトし放題なので、時代設定が現代であれば、登場人物の内面はここまでドロドロしなかっただろう。主人公の同性愛の発露は、とある酷い状況からの解放(ネタバレにつき詳述不可)と捉えられ、物語はハッピーに終わっていたはずだ。しかしヴィクトリア朝である以上、主人公にとっては、沈む澱みが変わっただけであり、若干の救いはあるが解放とまでは行かない。
同性愛の成就を、差別や偏見に負けず己を通す、真に自立した人間の行為として描く作家は多い。たとえばランズデールとか。しかしウォーターズは違う。犯罪者一家の娘を主人公の一方に据え、活き活きとした一人称で話の過半を進めつつもなお、物語は終始、退廃ムードを保ち、同性愛の耽美的側面のみが強調される。同性愛小説ではなく、百合小説と表現した所以である。どの程度の人が付いて行けるのだろうか。心配でならない。