不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

きみとぼくの壊れた世界/西尾維新

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

 櫃内夜月、琴原りりす、迎槻箱彦、病院坂黒猫、そして主人公・櫃内様刻。計五名の織り成す、恋と友情の高校生活。それがこの作品のテーマだ。被害者がこの中にいないのは、非常に「らしい」と思う。

 例によって主人公の一人称による饒舌が面白い。今回は、真面目シーンも集中力が殺がれなかった。西尾の作風が変わったのか、私が洗脳されたのかは不明だが、悪いことではないかもしれない。ただ、私は一つの仮説を持っている。それは、この作品の舞台が、あくまで現実世界と地続きであったからかもしれない、ということだ。《戯言シリーズ》での深刻なシーンは、世界が根こそぎパラレルワールドであるがゆえ、違う世界に住んでいる人間にしてみれば、微妙にうそ寒さが付きまとう。作者のロジックと付けたいオチに都合の良い世界を作り上げてしまえば、それで終わりだからだ。その点では、ニュアンスがちと違うが、矢吹駆シリーズにも似たような印象を持っている。いや好きなんですよ、戯言使う奴も、《大地の歌》を口ずさむ奴も。もちろん、作品もね。無論、全てを自分に都合良く書くなんて天才にしかできない神業、よって西尾も笠井も結局は凄いのだが。

 しかし、『きみとぼくの壊れた世界』の場合、世界はあくまでも現実と地続き。だからこそ、彼らの苦悩に関してストレートに、満足/不満足を表明できる。少なくとも、お膳立てされまくっているがゆえの寒さは感じずに済む。ありがたいことである。

 ミステリ的なネタは、小粒だがスマートであり、好印象。長編向きじゃねーよ、と言う人が出て来てもおかしくはないが……。

                                                                                                                              • -

 というわけで、『きみとぼくの壊れた世界』はかなり楽しめたのだが、肝心要の〈新青春エンタ〉性には踏み込まないことにする。話題になっている妹云々はさすがに別だが、私にはこのような形の青春がなかったので、妬み・嫉み・僻みを、小説の登場人物にぶつけるような文章を書きかねないからだ。この三種の神器は、自虐に使うにもあまりにも強烈過ぎるし、今回はオミットしたい。申し訳ない。