不壊の槍は折られましたが、何か?

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取るに足りない殺人/J・トンプスン

取るに足りない殺人

取るに足りない殺人

 『深夜のベルボーイ』ではまるで飽きたかのような感想を書いてしまったが、とんでもない話であった。やはりこの作家は凄いと『取るに足りない殺人』を読んで思い知る。

 トンプスン初の犯罪小説らしいが、バークリーと同じで、凄い人は最初から凄かったと思わせる。別人の死体を用意して保険金詐取とか、小さな町で映画館を繁盛させる手口とかが楽しいが、例によって話のキモは強烈なノワール臭にあり、事件は安いが内的視点からはかけらも安くないのは素晴らしい。主人公による一人称だが、全編にわたり、唐突に妻との過去のエピソードが挟まれ、時制がバカスカ飛ぶのも、若干読みにくい反面、作品の勢いを意味不明に高めており素晴らしい。話のネタ自体は完全にバレバレであるが、そんなことは些末事、と思わせる決定的な何かを『取るに足りない殺人』は秘めている。訳も変わらず好調である。妻の一人称が「わたくし」であるのは良いと思った。