不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

オクシタニア/佐藤賢一

オクシタニア

オクシタニア

 あっさりと前言を翻し、今日も更新です。ただし、精神状態の悪化とは大いに関係のある感想となります。というのも、泣いてしまったからです。ここまで心が脆くなっていたかと、自分でもびっくりしました。

 音楽だろうが小説だろうが、私は泣くことをあまりしない人です。以前泣いたのは、そうだなあ、某人の葬式で弔辞に釣られて、かな。「え、あれ泣いてたの」とか同席した人には言われそうだけれど。

 爾来四年、泣かない日々は続いていたのですが。

 『オクシタニア』は、アルビジョワ十字軍の顛末を描いた歴史小説。フランス、中世、軍紀、宗教、性、1,800枚の大長編。要はこれまでの佐藤賢一のエッセンス。ファンならじゅうぶん満足できる出来で、通常ならば楽しく読み終えたことでしょう。しかし、狙われた感動というケレンに、今日の私は絡め捕られました。不覚だし恥辱だし屈辱です。何より未来永劫、私は『オクシタニア』に泣かされたという事実を背負わねばなりません。安定した精神状態の下で再読しても、涙した記憶が私を責め苛むことでしょう。それはつまり、私は今後『オクシタニア』を冷静に評価できない、ということでもあります。

 私は結局《涙》に負け、年間ベストだ佐藤賢一ベストだオールタイムベストだという時、要は「何かお薦めある?」というような機会に、『オクシタニア』の名を、少なくとも『夜の蝉』に並ぶほど長期にわたり挙げ続けるでしょう。しかしそんな時、私はこの作品の魅力を説明する資格を、一切持ち得ないのです。どこまでが作品の力で、どこからが心の闇のせいなのか、自分ではまるで判断できないのですから。

 そのことを肝に銘ずる意味でも、今日は無理して更新しました。それに、今後も感想が呪縛されるなら、いつ書いても同じですからね……。それにしても、人が言う「感動的な傑作」というのは、単に当人の精神状態が悪かっただけなんじゃないかという疑いが拭えません。感動というのは、そんなにも頻繁に人間の心に舞い降りるものなんでしょうか。私にはよくわかりません……。