不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ワーグナー:《さまよえるオランダ人》

 シリーズ「どうしても好きになれない曲」第二弾。

 ワーグナーは基本的にお気に入りの作曲家である。しかしこのオペラだけはどうも……。なぜだろうか。

 一つには、このオペラの台本が、ワーグナーにとっての現代劇である点。他の作品では台本が御伽噺なので、寓話性に包まれてちょっと見えにくいのだが、ワーグナーは、台本作家ないし人間として間違いなく「低く・浅い」。だからそれがより生の形で現れる《さまよえるオランダ人》は見るに耐えない様相を呈す。爆笑しながら見るのが、人間としては一番正しいのだろうなあ。

 もっともオペラは台本ではない。音楽である。下世話な話を愚劣に描いた台本、それに付与される美しい音楽。歌手の容姿・年齢も含め、音楽と演劇のギャップを楽しむこともまた、オペラの醍醐味の一つである。とは言え、文句があると前に出ても晒されるだけなので、オオアリクイはそっとしとくわけです。

 では《さまよえるオランダ人》の音楽はどうなのか? 中途半端。これに尽きます。《リエンツィ》みたいに、調性音楽としてあれ程何もないわけじゃないけれど、さりとて《タンホイザー》《ローエングリン》ましてや楽劇以降と比べるべくもない。ロマンティックになろうと努力しつつ、動きは妙に生硬。とある友人が「和音鳴らしてるだけじゃん」と言ったが、まさにその通り。ただし、〈水夫の合唱〉のシーンは鳥肌が立つほど素晴らしい。元気印vs闇の力。ここだけはよく聴いております。

 ただ、1980年代初頭のバイロイトにおける、ハリー・クプファー演出の映像は凄かった。物語を「ぜーんぶヒロインの妄想!」ってことにしてしまって、オランダ人はムッチョの黒人(この人物の存在自体、ヒロインの性的妄想と設定)にするわ、ずっと目を血走らせて走り回っているわ、ラストも単なる飛び降り自殺にするわ、もうやりたい放題。歌手も皆様容貌も含めはまっており、実におサイコな舞台で感動した。台本としては駄作なオペラを、演出によって救済した素晴らしい演出。こういうのがあるから、オペラはやめられないのである。